海外で年下のサーファーに恋したアラサー女子。1話

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どこから、始めよう。


今、やっと全部終わった。




今は、彼が出てった部屋でおかしくなっちゃてる。


初めて放心状態ってやつ。


海外でなっちゃた。




私たちはベットに座り肩を組みお互いに謝った、思い出を語り、愛してた事を思い出しながら泣き合い振り返っていたら彼は僕たちの付き合い物語になるんじゃないって。


もう、私始めてるよって。




最後だけど嬉しかった。彼が見ていた私たちのリレーションシップは私が書きたいって思うぐらい、魅力的に彼も思ってくれてた。




good bye honey....




私。


年齢、32歳。独身。今、東南アジアの国に住んでる。


そう、2年半前にここにきた。




直感でね。


いつか、東南アジアの国々を旅するのが夢だった。


やっとの思いで、会社を辞めれた。私は疲労とストレスの限界だった。


そして直ぐに旅に出た。東京を飛びだしてやっと小さな幸せに満たされる自分が蘇ってきた。


クアラルンプール、ミャンマー、タイ、ラオス、ベトナム、インドネシア、ソウルをひとりで1カ月ぐらい旅をした。


旅は独りながらも楽しみもあって、本当に現実逃避ができた。


19の時に独りでイギリスを行った以来の独り。懐かしかった。


旅の途中、ベトナムからインドネシアにきた翌日気分が非常に悪くて、デング熱で人生初めての入院も体験した。


一週間ぐらいで完治はしたけど、その一週間は体力的に恐ろしいぐらいしんどかった。まともにやっと歩ける様になったけど、あまりにもダメージが大き過ぎて、脳がついていかなかった。




やっとの思いでジャカルタの街をでて、バリへ向かった。


ビーチで静養したい。


バリでも少し郊外の小さなエリアを選んで一週間ぐらい滞在した。




ゆっくりし過ぎて、帰国の時には私のビザはとっくにオーバーステイで罰金も払った。


日本に帰国してから、新しい仕事を探してた。


なんとなく、興味本意でネットで見てたらバリでのお仕事。


その私がステイしてた小さなエリアでのホテルの仕事だった。


東京での私の仕事は、地方出身で海外生活を昔ロンドンでしてた私には本当にタフだった。週末がくれば金曜日夜から六本木や渋谷で飲み遊んでた。ストレス解消ってぐらい。


もちろん彼氏と呼べる人なんて社会人になってからいた事なかった。みたいな人だけが多かった。


だから、そんな生活には何も未練も感じなかった。


何かの縁の様に、私はバリ行きのチケットを手に入れる事ができた。


両親は反対だったけど、1年の契約でワーホリ気分で働く事にした。



*新天地





新しい職場は、人生で最高なロケーションにある勤務地だった。


朝6時からの早番では、見たことないぐらい大きな燃え切った太陽の日の出が1日の始まりを美しいパワーで迎えれた。


満月の日は毎月はスーパームーン以上なようで、ゴールデンブロンズのようなロマンチックな景色がビーチぞいにある勤務先から見えた。


会社の人たちは外国人の私をとても暖かく迎えれた。それだけで私の病んだ東京で得たストレスは少しづつましになってきた。


来て間もなく、性格上なかなか友達って呼べる人ができなかった。


お茶する相手もいないから、家から数分で行けるビーチによく行ってた。


この国での生活はシンプルながらすごく価値がある生活に私は感じた。


ビーチに泳いだり、7キロも続くビーチ沿いをジョギングを毎日したり。


麻布十番〜竹芝〜浜松町、トーキョータワーの深夜のジョギングが嘘見たい。ビルとビルの間を走り抜けて迷路にいるみたいだった。


当然ながらビーチ沿いにあるお店の人には顔も覚えられたりもして、少しづつだけど街に馴染もうとしてた。


そのビーチは少ないけどローカールサーファーがいる。


69歳にもなるサーファーの父親を持つ私には何だか幼い頃からよく見る光景で懐かしいかった。


波、風、一体になってする自然を相手にした素晴らしいスポーツ。


って私はなぜかやらないけど。


ある日、私の勤務先のホテルでカヤックのクラスがあったので覗きに行った。

ガングロを通り越した黒い子。ローカルのホテルに出入りしているンストラクターがいた。


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