挫折を繰り返し、みんなからサルと呼ばれた女が、ダイエットの先生になりYouTuberになったストーリー

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でも


「できないのに一番前に出てくるな!」

と先生に怒られた。




そりゃそうだ。

周りの子たちは小さい頃からバレエやダンスや、

中学・高校で演劇部、

大学でダンスチーム、声楽をやっていた人ばかり。



補導、タ○コ、喧嘩、万引き、取っ組み合いの喧嘩に彼氏のお嫁さんが夢なんていうふざけた私とは格が違う。

キャリアが違いすぎる。



【Chisaがミュージカルスクールの頃⬆︎】ミュージカルスクールの舞台の楽屋での写真


挙げ句私は

身体はガチガチ、声は大きいが音痴、少しどもり症ぎみなので台詞は噛みまくり。




スクールでは年に2回テストがあったが

もちろんビリの成績。





でも

『夢は劇団四季』

ここだけはブレていなかった。


私はスクールが終わってからも

教室が空いているかぎり

歌の練習、台詞の練習

夜はバレエ教室、ダンス教室。




先生たち、スクール生にバカにされながらも

時間の許すかぎりレッスンしまくった。




【Chisaが20歳の頃⬆︎】地元の友達との写真


成人式の日でさえ

山梨からとんぼ返りして夜には大阪のミュージカルスクールでダンスのレッスンをした。



バカにされているのは知っていた。



というより、相手にすらされていなかった。

でも、私には夢があったから苦ではなかった。





【Chisaがミュージカルスクールの頃⬆︎】ミュージカルスクールの同期との写真



スクール最後のテストの日

私は総合成績で一番になった。



その年、スクールから劇団四季を受けた生徒は6人。

先生たちも、小さい頃から練習をしてきたセンスの良いスクール生が受かると思っていた。




でも実際

合格したのは私だけだった。

しかもそのスクールから合格者が出たのは13年ぶりだった。




私は大阪の新幹線乗り場で

ミュージカルスクールで1番仲の良かった友達に見送られ


今までを振り返り

辛かったことを思い出して

号泣しながら東京に夢を膨らませて劇団四季の研究生として入団した。





劇団四季の入団初日。

今でも覚えている。

劇団四季の玄関の花壇に黄色いちょうちょが飛んでいた。


私は、ちょうちょが劇団四季に迎えられた私を

歓迎して、応援してくれていると思い嬉しくて舞い上がり


「ちょうちょだ!ちょうちょだ!わーい!嬉し〜い!可愛〜い!」


と興奮し、隣にいた研究生仲間の1人に同意を求めようと話しかけたら



ニコニコしていたが、スルーされた…



またもや、

「脳みそのないサルが来た」

とバレた瞬間だっただろう。



そりゃそうだ

研究生といっても

まわりをみたらすごい人材ばかりだった


めっちゃくちゃ踊れる人か

めっちゃくちゃ歌が上手いか

めっちゃくちゃ芝居が上手いか

身長スタイルが良い人か

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