僕が応用物理でハーバード大学大学院に行けた一番の理由

アメリカの大学院に行くことにしたのは14年前の2002年の秋だった。

当時僕は、まだ珍しかった長期インターンで、渋谷マークシティのこれもまだ珍しかったベンチャー企業のインキュベーション施設に籠る日々を送っていた。大学の授業はすべて午前中に入れて、午後には日吉から渋谷に出て、終電までJavaPostgreSQLでコーディングして月に何度かは朝までいてそのまま日吉に戻って、ということをしていた。

インターネットで偶然見かけた「ETIC.」という団体が学生インターンを広め始めていたこともあって、相談の申し込みをしてオフィスに向かう途中、大学に入って初めてプログラミングを学んだ程度の学生にやらせてもらえることなんてと思っていたのだけれど、予想を裏切って僕のインターンは突然始まった。

 

「人生は突然変わるんですよ」

 

インターンの受け入れ先が相談にいってからもう数日の間に決まっていて戸惑う僕に担当者がかけてくれた言葉だ。

インターンのプロジェクトは、3人のチームでインキュベーション施設の会議室予約システムをLinux+Apache上で構築するというもの。僕らの書いたコードは汚くて、動作が遅くて、エンジニアの方に直してもらう部分ももちろんあったのだけれど、半年後には要件定義からローンチまでを終えることができた。

初めてのビジネスシーンで何から何まで新鮮な毎日。ビジネスメールを書くのも初めてだったし、議事録作成も初めて。どこまで上手くできたかは自信がないけれど、ブレストして、アイディアをまとめて上司に報告するなんてことも初めて経験した。インターンの給料で買ったMacBookLinuxを無理矢理インストールしてみたり、コンピュータは命令したことしかしないので問題が生じたら「なんか変なんです」ではなくて落ち着いて対応していけば解決できることも実感が持てたりした。

数多く学んだことの中で最も大きかったのはやはり最初の一言。人生は突然変わるし、一歩踏み出すことで変えられるということ。

インターンの充実した日々を送ると同時に、大学で応用物理を学んでいた僕はITの次はナノテクが大きな潮流となることを感じていた。ITの進化を減速させないためにはナノテクが不可避であることも分かっていて、でも自分がそこで何か役割を果たすという、果たすことができるという意識はなかった。

しかし、インターンを続けさせていただくこともできた一方で、僕は次第に、ここで一歩踏み出せば、インターンで感じた何かを作り上げていく充実感を、世界を変えていく第一線で味わうことができると強く思うようになっていた。インターンも終盤の秋頃にはアメリカの大学院に行くことを決めていた。行けると思ったし、「行かないと」と思った。

正直にいえば、当時(2002年)の僕はインターネットとか、たいした話ではないと思っていた。毎日プログラミングをして、毎日目の前のブラウザ上で動くモノを作っているという手応えは確かにあった。エンジニアの方はみな使い始めていた「google」というものがなかったら何のコネクションもない僕がアメリカの大学院の情報を手に入れることはほぼ無理だっただろうというのも確かだ。それでも、ビジネス経験のなかった僕には、インターネットがさまざまなビジネスにおいてバリューチェーンを劇的に変えてしまうものであることは分からなかったし、イレブン・ナイン(99.9999999%)と言われる超高純度のシリコンが作製可能になって初めて実用的な集積回路が作れるようになったように新しい材料が世界を変えてしまうスケールの大きさに惹かれていた。

 

インターンが終わると、僕はアメリカのナノテク分野の大学教授を一人一人調べ、彼らの論文を読み、メールを書いた。

 

I read your articles.  I am an undergraduate student in Tokyo and would like to visit you and discuss with you on your exciting research.

 

多くの人は日本の会ったこともない大学生に温かい返信を書いてくれて、是非会いに来なさいと言ってくれた。僕は彼らに会いに、アメリカを西海岸から東海岸まで旅をして、未来のテクノロジーに対する興奮を全身で伝えた。

大学院になると大学で選ぶというよりも研究分野で選ぶ、教授で選ぶという性格が強く、結果としてHarvardを選んだということになるのだけれど、HarvardであれMITであれStanfordであれ、日本の大学を卒業後そのまま進学する日本人はとても少なかったし、今でも多くはない。そんな道なき道を切り開くために大切だったことは1つ、一歩踏み出すこと。

Stanfordは落ちた。ある大学からは今後5年間は再応募しないようにと添えられた不合格通知を受け取った。

それでも何人かの教授は日本から会いに来た学生を覚えてくれていて、トップスクールからいくつかの合格通知が届いた。最初に来たのはMITでそのメールの着信の瞬間、僕はようやく自分で自分の人生の一歩を踏み出すことができるようになったと手を握り締めた。

 

何かが変わるとき、人と人の出会い以上に大きな力をもつものはないように思う。冷たい反応を感じることももちろんある。がっかりしないわけではない。それでも一歩踏み出せば、それを待っている人がきっとどこかにいる。何度も会ってもらえるものではなく一度しかチャンスはもらえない、そう思ってしっかりと準備をして飛び込めば、意外に温かく迎え入れてくれるものだ。10年ぶりにボストンを訪れる機会に振り返ってみてそう思う。

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。