「いなべの生徒はアホばっか!」こんなこと言わせておいていいのか?

1 / 3 ページ

「いなべの生徒はアホばっか!」こんなこと言わせておいていいのか?

 私は四日市高校時代に、教育を志した。研究でも、実践でもどちらでもよかった。それで、名古屋大学の教育学部を受験して合格した。しかし、授業を受けて失望した。私は数学のように完全な理論を期待していた。

つまり、教育の目標や、方法論が聞けると信じていた。

 ところが、授業を面白くする方法を述べる教授の講義がおもしろくない。学生たちは居眠りしていた。文系科目は物理のように実験で実証するわけでもなく、数学のように理論を構築するでもなく、ただ教授の権威と肩書きで自説を述べているだけだった。

 私は現場を知りたくなって、卒業後2年間は塾で講師をしていた。その後、アメリカの学校も知りたくなって、ユタ州のローガン中学校で教師をしていた。帰国後は、指導科目の英語を探求して、英語検定1級や通訳ガイドの国家試験に合格した。

 それから30年間、名古屋の大規模予備校、専門学校、塾で14年間非常勤講師をやりながら自塾でも中学生や高校生を指導し、自分でもZ会を8年やり、京大模試を10回、センター試験を10年連続で受け、京大二次試験を7回受けた。数学も7割とれて指導可能になった。

指導した生徒は、京大医学部、阪大医学部、名大医学部に合格した。

さて、ここで思う。

 世の中に、教育学を研究している教授も、権威も、エキスパートと呼ばれる人たちはたくさんみえる。その人たちが、私が現場で試行錯誤をしている間に「ゆとり教育」を導入し、小学校の英語を始めた。センター試験は新テストに変わる。

やはり、教育学は存在しない。

 「ゆとり教育」など明らかに間違いだった。小学生に英語を指導するなんて、現場を知らない人の妄想だ。新テストを導入しても、事態は悪くなりこそすれ良くはならない。

 英語は、単なるコミュケーションの道具であって「英語学」など存在しない。数学や物理のように、実証可能なものだけが学問と呼ぶに値する。

 私は、現場を知らない人が文科省の役人になり、文科大臣になり、日本の教育制度をいじるのは間違いだと信じている。また、教育評論家と呼ばれる人たちがマスコミを通じて影響力を行使するのは現場を混乱させるだけだと思う。

 ここ10年ほど、モンスターペアレントが跋扈している。私の塾でも、突然「娘の授業の様子を見たい」と個人指導中に母親が入ってきて、授業後に「授業が始まって5分間は、導入で先生の経験談をしてもらって、その後15分間は導入でAというテキストを用いて、その後はB問題集を使って、・・・」と延々と2時間話し続けた方がみえた。

 つまり、今は教育学などこの世に存在しない。エキスパートの存在を認めないので、10人いたら10人がバラバラの信念を語るわけだ。そして、それを否定されると激怒という感情的に反応するばかりだ。

 では、塾や予備校業界と言えば、暴走族講師やらマドンナ講師ばかりで、芸能人に転身するための職と考える人もいる。マジメに教育に取り組んでいるとは言いがたい人が多すぎる。

 学校はどうだろう。日教組のような北朝鮮や中国といった社会主義の世界をユートピアと主張する教師は論外だし、逮捕者が続出するエロ教師も論外だ。では、大多数の教師は大丈夫だろうか。ご自分の同級生で、優秀な人は教師になっただろうか。

 生徒の愚痴を聞けば、現状が分かる。昨日も、中学三年生が「先生、やっと英語が三年生の教科書に入った。5月が終わるのに」とか「因数分解の公式を教えてくれない。全部分配法則だよ」と言っていた。落ちこぼれを救うという美意識に酔った先生が多いと生徒が嘆いている。

 実際、私が名古屋の7つの大規模予備校、専門学校、塾で14年間働いた経験から英検1級を持った先生、旧帝卒の先生などほとんどいなかった。最低限の、専門科目さえこの惨状なのだ。教育学を考える以前の問題だ。

 理論もダメ、現場もダメ。では、どうすればいいのだろう。実は、大学の教授や、学校の教師ばかりを責められない。生徒もダメな子が多い。今の日本は平和ボケで、規律がゆるゆる。生徒の情報によると、どの教室にも1人は徘徊生徒がいるそうだ。

あまりに少年犯罪がヒドイので、少年法の改正を求める声も多い。

みんなの読んで良かった!