中度難聴だと知って変わったこと

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どのように聴こえているかというと、こんな感じです。
普通に軽度~重度までの音量による難聴も併発しているので、聞こえない、聴こえづらい音もあります。
また、感音性難聴の共通する特徴は、
低音域は聞こえやすく、高音域ほど聞こえにくくなるという、
聴力検査をすると右肩下がりの波打ったようなデータが出るのが特徴です。
一般的な老化による難聴もこちらが多いそうです。
厄介なのは、「聞こえている」ので、耳元で大きな声で叫ばれても困る点。
しかし、「聞取れていない」ので、本人は「聞こえなかった」と説明することになるので
「大きな声で話せばいいんだろう?」と解釈される点。
「大きな声で再度話しても【聴き取れない】」ので、
聞こえなかったとしても、2度3度はまだしも、
4度5度ともなると、繰り返しお願いするのが気が引ける、
また嫌な顔をされるのが経験上からわかっているので、
そこで「聞こえたフリ」をしてしまうのが中度難聴者の悩みであり悪い癖でもあります。

完全に聞こえないわけではないから、普通の会話にはテンポがあり、流れが有ることを理解しています。
聞き返すということは、それらをぶった切る行為である為、場がしらけてしまいます。
非常に面白くない空気が流れます。
それが誰のせいなのか、イヤでもわかります。視線が痛いです。
結果として、いつもニコニコして聞いているようになります。
でも90%理解できていません。

補聴器を得て、世界が変わった

たまたま妻の祖父が、あまっている補聴器をくれました。
色々あった結果の事ですが、1台7万円くらいします。
昔、耳穴式の補聴器を付けた事がります。
1個44万円です。寿命は4・5年です。
それに比べると安いですが、補聴器というのは着けてみればわかりますが、
片方だけ聞こえてもきちんと聴き取れないのです。
ど近眼の人が片目だけ眼鏡つけて車を運転する様な緊張感と危険性があるようなもので、
聞こえによる周囲の判断が出来なくなる事や、平衡感覚や距離感などが狂います。

今度の補聴器は、イヤホンを両耳のものに付け替えればいけるだけのパワーを持っていた
ので、交換して使用しています。
そうすると、今まで世界は静寂に包まれていたと思っていたのに、
空気の流れる音、小鳥が囀る音、衣擦れの音、時計が時を刻む音なんかが聞こえてきます。

鶯やほととぎすの鳴き声を耳にしたとき、
世界はこんなにも鮮やかな色合いを持ち、音もこんなに満ちていたのかと感動しました。
しかし、所詮は機械で音だけを大きくしているので、弊害も沢山あります。
事は聞こえれば良いというわけではない事にも気付かされる。
補聴器は万能ではないのだ・・・と。

日常生活でも支障がない音域もあるわけですから
音を大きくすれば、当然聞こえがマシな部分では苦痛になります。
またマイクの周辺の音しか拾えませんので、遠くの声は拾えない。
大体1m離れたら半減します。
会議では4・5m離れた人の会話を拾うために、音量MAXの9にするわけです。
Minが0で、普段は3で生活しているのに、その3倍の音量です。
健聴者でも、普段の音が2倍以上で聞こえる状態を想像してもらえれば、
それがどれだけうるさい事か想像できるかと思います。

ここでも可視化を試みました。
単純に補聴器をつけただけの場合こんな感じです。
さっきの感音性の文字を入れてみました。
音は大きいけど、大きいだけで聴き取れない所は聞き取れないのです。
ただ、音量的に不足しているのは補えている感じです。
ここに、普段補聴器をつければ聞こえる、聞き取りやすくなる習慣が重なる事で、
「聞き取れないなら音を大きくすればいいじゃない!」とばかりに、音量が大きくなっていく。
どんどん大きくなっていくとどうなるかというと、

ハウリングもするし、耳鳴りもするし、紙を触る、めくる音がカサカサするし、
ペンを立てたり、寝かしたり、机をコツコツする音が爆音で鼓膜に突き刺さります。
ペンを床に落とそうモノなら激痛が走ります。
時にはテーブルを蹴ったりする音で苦悶にあえぐ事もあります。

本末転倒ってのはまさにコレです。
大抵は耐え切れなくなって補聴器を外します。

そして静寂の海に沈みこみ、
ニコニコしながら聞いているのです・・・聞こえてないけど。


これを見て、
「オマエは聞く気がないんだ」「努力が足りない」「病気じゃないんだから」「障害者じゃないんだろ?」とか言われます。

現実は障害者や病気の人より酷いんじゃないだろうか。
障害者になれば障害者枠の求人にも応募できる。
難聴に配慮してくれる職場を探す事も出来る。
しかし、私たちにはそれは適用されない。
障害年金は愚か、補聴器購入費用の助成もない。
壊れれば全て自費で買い替えになる。たとえ業務上で壊れても。

ですから、全て自己防衛せざるを得ない。
その上、やはり人に伝えていくと言う事も忘れてはならないのだと思う。
「理解されないからいいや」
「どうせ離しても無駄だろう」
そんな事を言って諦めている人が多いだろうけど、
せめて中度難聴というものがある事が、世の中に認知されるようになれば
口下手な人でも説明がしやすくなる。理解されやすくなる。

なら、当事者がみんなで少しずつ、理解される為の創意工夫をしていくしかない。
そのためのアイデアとして、「聞こえの可視化」というのは面白い手法なんじゃないかなと思います。
まだまだ良い方法があるのかもしれない。
しかし、釈迦も説くように、
そのものを伝える事は難しい、理解する事も難しい。
だから「方便」の力を借りるのだと。
妙法蓮華経 方便品第二には、長々とその事が書かれています。
私も諦めないで行こうと思います。

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