【第6話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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前編: 【第5話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
後編: 【第7話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

父子家庭になるのとほぼ同時期に、両親は病床に倒れた。

毎日酒を飲んでは暴れまわる父と、そんな父を罵倒する母。母親の期待に常に応え続ける兄と、その期待を受け止めきれずドロップアウトした僕。

これが両親と僕の青春時代で、毎日毎日繰り広げられる堂々巡りにほとほと嫌気がさして家を出た18歳の春から、30歳になるまでの間ほんの数回しか顔を合せなかった両親だったけど、兄から連絡をもらい、もう長くないことを知ったのだった。

「会いに行ってやれ」

兄からのほぼ命令に近い物言いに、しぶしぶ母の入院する病院へ足を運んだのだ。父より母のほうが一刻を争う病状だった。

子供たち2人を連れ、母の入院する水戸の日赤へ行ったのだった。子供たちだけでお留守番させるのには、まだまだ不安がある。

孫の顔でも見せてやろうかという、僕なりの親孝行らしき気持ちもありつつ、子供たちを置いていくわけにもいかないという現実的な問題もあるにはあったのだ。

何年かぶりに見る母はベッドに横たわり、僕たち3人に一瞥をくれると、僕の名を呼び、こう言った。

「やかましいから、子供は連れてくるな」

母の真意は知らない。

後々母が死んで葬式をするわけなのだが、そこに集まったほぼすべての近親者から、僕はこう言われた。

「お母さんにはかわいがってもらえなかったからなぁ・・・お前は」

出来の悪い僕は、出来のいい兄に比べ、冷遇されている状況には子供心に薄々は気づいていた。

僕が悪いのかもしれない。

難しいことはわからなかったけど、今まさに母親を失おうとしているのだということだけは、はっきりと分かったのだった。

久しぶりに見る母は、元気とは程遠い、やがて死にゆく定めの病人そのもので、久しぶりだからこそ強烈な印象を受けた。不思議なもので、ここまできてもまだ母親を失いたくないという気持ちは、これっぽっちもおきなかった。

多分、まだ本当の意味で親を失うということ、そして、その重大な意味を理解できていなかった。

それだけ若かったといえば、それまでだ。

僕よりも、はるか幼少期に母親を失った子供たちと一緒に暮らし、その子供たちの生活を保障する立場にある僕でさえ、母親を失うという意味に気が付かなかった。そうは言っても近いうちに死にゆく母を目の前にしては、さすがにほっておくわけにはいかない。

何の因果か、父子家庭になり母親を失った子供たちを抱えたうえで、今まさに自分も母親を亡くそうとしている。

僕が父子家庭になったその年の年末、母が入院先の病院で手術をすることになった。小腸ガンだそうだ。

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