【第21話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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前編: 【第20話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
後編: 【第22話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

それから数カ月を無事に過ごし、特に兄からの接触もなく、この家を追い出されるようなことも起きず、年末に行われた県議会議員選挙で、兄は見事に当選した。

折しも、民主党政権誕生と相まって、世間的に無所属押しの風が吹いていたことも当選の要因の一つにはなったであろうが、良かったのか悪かったのかは、僕にはわからない。

あの時のあの出来事は、いったい何だったのだろうか。

ただ単に兄の虫の居所が悪かっただけなのか、本気でそう思っていたのか、もしかしたら、僕が兄にそこまでさせてしまう何かがあったのかはよくわからなかったけど、僕たちは家を追い出されることも無く、兄も当選し、一件落着したのだった。

それにしても、この一件で失ったものは大きい。

最悪の事態を想定して生きる、という僕の新たな生き方は、自分の考えや行動の如何によっては、さらなる最悪を引き起こす可能性があるということと、考えているほど最悪の事態が起こらないということもある、という新たな教訓と、子供たちとの何度かの旅行の思い出を僕に与えたのだった。

引き続き当面生活できるだけの家を確保したのだったが、いよいよ金が底をついた。

ヤフーのIDは情報販売のゴタゴタで剥奪されてしまっていたので、不用品を売って金を作ることも出来ない。

一つ状況が好転したことといえば、子供たちが大きくなりある程度兄弟だけで何とかできる部分が増えたことと、学校に行っている間は自由な時間が持てるようになった、ということだった。

よし、この空いた9時から15時までの時間を使った仕事に出るか。

この時間を有効に使うしか、僕たちに生きていく道はないし、全財産は早くも残り数万円、というところまで来ていた。

仕事を探すにもまだまだ色々と条件がある。その条件をクリアできるところでしか働けないのだから、仕事を探すのは簡単ではなかった。

まず、職場は家から近くないといけない。車で10分程度が理想。

そうは言っても住んでいる町は都会でもなく、世の中は相変わらずの不景気、さらには父子家庭というよくわからない生活をしている40手前のおっさんなわけだし、何かの時に子供を預ける人もいない。

近所にそうそう都合よく仕事自体がないわけで、さらには働くための条件がある。条件があるにも関わらず、雇い主側にとっては僕を採用するに躊躇せざるを得ない判断材料が山ほどあって、父子家庭という聞きなれない生活スタイルを説明するだけで煙たがられたし、いくら僕たちの置かれている状況を説明したところで理解してもらえることはあまりなかった。

「子供預かってくれる、面倒見てくれる身内の一人や二人誰にだっているでしょ?」と言われるのがオチで、ひどいところになると、いい年してこんなことやっていて大丈夫かと、子供たちのためにもしっかりしろと訳のわからぬ説教までされる始末。

仕方ないけど、これが現実だった。

世間は不景気で、みんな仕事を探している。こんな小さい町ならなおさらだ。雇い主側としては少しでも条件の良い人を選びたいわけで、誰がどう考えてもチョイスする相手が僕ではないことは確かだった。

長く調理の仕事をしていたということもあり、調理師としての仕事をメインに探した。

飲食店などは土日祝日がかきいれ時、できれば土日祝日は休みたいと言っている時点で、もはや採用の脈はない。

子供たちを一人で育てている以上、土日は休みたかったし、休むことでしか成り立たないものもある。

働ける時間も限られていたし、正社員として働きに出ることはそもそも不可能だと悟った。こっちの都合のみで働かせてくれるような職場は、少なくともこの町界隈には存在しない。

だとしたらアルバイト、パートの類になるわけだが、僕ができるのが飲食業のみということは、時間はこれ以上譲歩できないわけだし、土日祝日は条件から外すしかないのか。

そんなこんなで条件を譲歩しながら、駆け引きをしながらの職探しだった。

子供たちには寂しい思いや、さらなる迷惑をかけることになるだろうけど、生きるためにはそうするしかなかったし、働かなければ食っていくだけの金がない。とにかくその他すべてのことは後回しにしてでも、今はなんとか1日3食子供たちの口に食べ物を入れてあげること、それがすべてだった。

もういよいよ、笑ってなどいられない。

毎日求人サイトと求人雑誌をにらめっこしながら、手当たり次第に電話をした。

条件などというきれいごとを言っている場合ではないことは明らかだし、選べるほど多くの仕事があるわけでもなかった。

電話をして簡単な質問に答え、履歴書を見てもらえるまでですでに半分になっている。その残った半分も履歴書を送った時点でさらに半分、実際面接までしてくれるところは電話を掛けた求人先の1割にも満たなかった。

条件はいくら譲歩しても、自分の置かれている状況、なぜ働けないのか、なぜパートなのかという詳細は説明しなければいけない。その簡単なプロフィールのインフォメーションを入れた時点で、おおよそは断りを入れてくる。わざわざ会うまでもないということなのだろう。

応募をかけたほとんどの企業に断られ、残りのお金も底が見え始めてきた。とりあえず何でもいいから収入のあてを探さなければ、飢え死にしてしまう。

飢え死にしないように仕事を求めているのに、子供を預けるところもない30半ばの父子家庭生活にやすやすと仕事をくれるほど、世の中甘くはないということか。

どう考えても、他の誰よりも仕事を欲していることは明らかだろうに、だからといって採用の優先順位が上位に来るかといえば、それはそれでまた話が違うようだった。

ひっきりなしに落ち続ける面接をこなしながら、どうしたら仕事を得ることが出来るか考えた。必死に考えなければ、僕たちに待っているのは、冗談などではなく「死」そのもののような気がした。

まず、条件は捨てよう。

どのみちこの不景気で、仮に仕事を見つけたとしても、土日休み週5のフルタイムでアルバイトのシフトに入ることはどうやら不可能だということを察した僕は、とりあえず面接対応として嘘でも「何でもやります、いつでも大丈夫です」という積極性を取り入れることにした。

まずはここからやらなければ話が始まらないらしい。

さすがに父子家庭ということを隠し切れはしないだろうから、そこは伝えたとしても、子供たちはいざとなったら見ていてくれる人がいますといった具合に、万人受けする対応。背に腹は代えられない。嘘も方便、生きるために相手が求めている自分を演じるしかない。

父子家庭という環境をプラスに作用させるために、限りなく同情を買うべく、助けてください的な悲壮感を漂わせてみることにしたのだ。

なにはともあれ仕事を得られることが出来なければ、僕たちは確実に死んでしまうのだが、近所の求人はすべて電話をかけてしまっていた。

もう電話をするところすらない。

どうしたらいいのか考えた末に、もうこうなったら求人がかかっていようがいまいが、電話をして聞いてみるしか方法はないと考えた。

求人サイトばかり見て電話をしているから競争相手も多くなるだろうし、より良い条件の人をチョイスされるのだ。求人がないのなら、こっちから探せばいい。

もはや何のことだかさっぱりわからないが、やるしかない。

まずは自宅から車で10分程度にある、ショッピングモールのフードコートに電話してみるとこにした。

まったく求人などかかっていなかったけど、長年の飲食店勤務の経験から、あの手の店舗は慢性的に人手不足なことを、僕は知っていた。

電話を入れ、今現在求人をしているかもしくは求人をかける予定のある店舗は無いか探りを入れてみたところ、一つの企業がアルバイトを募集する予定だということが判明し、面接の日程をとりつけた。

まずは第一段階クリアだ。

面接は好感触で、後日結果をお電話しますということだったのだが、次の日には合格の連絡をいただき早速働きに出ることになった。

嘘みたいに作戦がはまり、小躍りしたい気分だった。

だいぶ調子の良いことを面接で言っての合格だったので、実際仕事が始まり困ったことになるのではないかという一抹の不安はあったのだが、とにかく仕事にありつけたことに僕は満足していた。

父子家庭になって仕事を辞め、それからしばらくの間は定職に就くことは無く数年間を過ごしたわけだが、久しぶりに味わう組織の一員という立場は悪くなかったけど、すでに年齢は30半ばのおじさんで、本来ならば近所のフードコートでおばちゃんや高校生に交じってアルバイトをしているような立場ではない。

父子家庭になる前は東京のそれなりの高級店で働いており、調理師としての立場やプライドや経験を持って仕事をしていたのだが、それから数年が経ち今ではフードコートのへんてこなユニフォームに袖を通し、おばちゃんのパートさんと一緒に、料理とは言えないようなものを作っている。

悪く言えば、僕でなくても、仮に調理の経験がなくても、誰であってもできるような仕事なわけで、修行というものを経て料理を学び、それなりの技術を身に着けることを良しとしていた僕には、いささか屈辱だった。

仕事をして現場に入ってみると、僕のようなタイプはみなさんとても気になるらしい、ということが分かった。それはそうだろう、何事も無ければここでこうして一緒にパートとして働くことは決してないであろうと思われるような人が新人で入ってくるわけだから、どんな素性でどんな理由でここに来ることになったのか、それは格好の話題であるに違いなかった。

同僚は皆、暇つぶしのパートに来ているおばちゃん連中ばかりだったから、仕事に就いてからの数週間は、あれやこれやと根掘り葉掘り聞かれたものだ。

それは、仕事を変えどこに行っても必ず初めに通る道で、そこのカミングアウトなしに新しい職場の仲間入りをすることはできない。

父子家庭であること、男の子2人を育てていること、子供が小さくてしばらく働けなかたけどようやく働きに出られるようになったこと、なぜ父子家庭になったのかということなど、興味のわくままに聞かれては、隠しても仕方がないので正直に話していくのだ。

珍しい環境である上に、普段なら絶対に入ってこないであろう年齢の男、そしてたまたま僕が人見知りをしない性格であったことなどが、意外と仲間内のおばちゃん連中にウケて、どうにかこうにか話し相手も見つけながら、ちょっとづつではあるが職場になじんでいくことが出来たのだった。

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