思い出のバスに乗って:津国ビル純情2「抜き足差し足」

 

津国ビル下宿屋には門限があった。シンデレラ・タイムの12時である。
それを過ぎると、例え前もって電話で、「ちょっとだけ12時過ぎるけど開けといて~」と頼もうが何しようが、玄関は管理人夫婦がバッチリ閉めて、決して開けられることがない。

いずれにせよ、門限時間まで遊ぼうとしたら、タクシーで帰れるだけの経済的余裕がないといけないのであり、貧乏学生やわたしのように定職のないようなのが多いのだから、そういうことで締め出しを食うのは、あまりいない。いたとしても男の話であるから、さほど心配にも及ぶまい。

と、言いたいところであるが、何を隠そう、女のこのわたしこそ、実は門限破りの常習犯であったのだ。しかし、一言言わせてください。それは遊び呆けてではなく、レストラン等の宣伝撮影のためのバイトが理由である。

下宿にカメラマンN君がおり、彼も副職としてこういう撮影の仕事をしていて、照明やらなんやらのアシスタントがいる。そこで、わたしにこの話が回ってきたのだ。ところがこの仕事、レストランが閉店してからでないとできない。よって、撮影は夜10時半ころから始まり一時間半ほどで終わるのだ。下宿屋に着くのは、後片付けも入るから、どうしても12時を回る。

撮影場所のライトのあたり具合に小道具を使うので、わたしがそれを上げたり下げたりと照明ライトを持ったりしてのバイト。大した収入にはならないが、それでも生活の足しである。撮影の話が来るたび、
わたしは引き受けたのだが、問題は門限だ。

わたしの部屋は一階中庭に面していた。しかし、運良くN君の部屋は通りを前の、だだっ広い畑に面していたのだ。そこで、仕事がある日は、N君、自分の部屋の窓の鍵をかけずに出かける。そして、仕事終了後、二人でタクシーで下宿屋の近くまで乗りつけ、畑をざざ~っと横切って、手はず通り開けてある窓から入り込む、ということを、わたしたちは繰り返したのでした・

あの頃は今のように物騒な世の中ではなかった。わたしなど、後年、自分のアパートの台所の窓は、飼いネコのポチがわたしの留守中の日中に自由に出入りできるよう、年中開けっ放しにしていても、一度も泥棒に入られたことはない。

さて、その夜も大阪、難波にある中華料理店の撮影を事なく終えて、いつもの通りN君の窓から入り込む。「お疲れさん、またあしたね^^」と言いもって、わたしは入り込むときに脱いだ靴を両手に軽く持ち上げ、抜き足差し足の素振りでN君の部屋のドアを開けた。
とたん、「こらぁーーー!」
なんと、目の前に怒声とともに、管理人のおっさんがつっ立っているではないか。
「また、お前らか!一回や二回ならいざ知らず、何べんやっとるねん!」

これはもう完全に袋のねずみ、現行犯で何の言い訳もできない。もとより、嘘をつくのが下手なわたしである。現行犯ともなれば、もやは潔くするに越したことはない。

おっさんは、毎夜門限時間になると、下宿屋ビルの屋上から通りに面した側を見張っておったのである。
悪い趣味だぜ。

二人とも現行犯の写真を撮られたわけではないから、しらを切ろうと思えばできたやもしれない。なぜなら、若いわたしたちはしょっちゅう下宿仲間の誰かの部屋に集まっては、夜更けまで話し込んだりしていたのだし、それについては何のおとがめもなかったのだから。
しかし、両手に靴を下げて、人様の部屋を出るかい?(^^;)

あっさり門限破りを白状したわたしたち、こっぴどく叱られ、以後すっかり目をつけられ、深夜に及ぶ撮影のバイトは終了せざるを得なかったのであった。

これも若者が多かった大下宿屋なればこその懐かしい思い出ではあった。

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