【第26話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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前編: 【第25話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。
後編: 【第27話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

季節はすっかり夏になり、自転車での通勤も苦ではなくなったのだが、8月の猛暑の日などは、炎天下の午前中、40分自転車を漕ぐだけで汗だくになるのだった。


時給780円で週5日6時間。何だかんだ引かれて手取り9万円ちょっと。毎日自転車でせっせと通ってはいたが、この給料では子供たちにテレビなど買ってやれはしない。


転職して今よりも時給の良い仕事場を見つけ、長い時間働かなくてはならない。そうは言っても働ける時間帯が限られているので、その時間を目いっぱいアルバイトに充てられる仕事で、休みを週2日から1日にする。


これで何とか当面仕事をし少しずつお金を貯めるしかないだろう。そんな都合よく仕事が見つかるとは思えないかったけど、どんな時でも、今自分が置かれた環境でベストを尽くす。


子供たちに常々言って聞かせていることだ、やるしかない。




求人はあるにはあったのだが、そのほとんどが居酒屋かパチンコ屋かすでに面接で落ちているところで、僕の働ける条件という物を考えるとやはりそれほどの選択肢はない。新たな仕事場探しは想像通り困難を極めた。


毎日アルバイト情報誌を眺め、新聞の折り込みをチェックし、インターネットの求人サイトを閲覧した。


それでも転職をするという決断に至るまでの職を見つけることが出来ないでいた。


車がないというのが職探しの大きなネックになっており、自転車か徒歩で通える範囲の場所での求人は、そう多くはない。車がなければ生活していくことなどできないであろう程の田舎なのだから、当然誰もが車を持っている体で求人しているのだ。


ただ唯一今までの職探しと違うところは、安定というにはほど遠いが毎月僅かばかりの収入があり、明日もまた仕事に行くことが出来るということ。


アルバイトではあったが、仕事を持ちながら次の仕事を探せるという環境は、ほんの少しではあるが自分自身前に進んでいるような気がしていた。




うどん屋の仕事も最初は雑用しかできなかったけど、洗い場を任されるようにり、それもある程度こなせるようになったらうどんを打たせてくれるようにもなった。盛り付けや天ぷらの仕事もさせてもらえるようになったし、もともと高校を卒業してからというもの調理の仕事しかしてこなかったわけで、コツさえつかめばこの程度のアルバイトどうってことは無い。どんどん仕事を覚えさらに新しいことを教えてもらった。


数ある仕事の中でも、とりわけうどんを打つポジションは楽しかった。お客がひっきりなしに訪れるからとにかく大変だったけど、小麦粉を練ってプレスして裁断してうどんを茹でるという過程は集中を必要とし、ほんの一時ではあるが、時間を忘れて没頭できるこの仕事はありがたかった。絶えず頭の中は不安と迷いと焦りでいっぱいだったから、よい気分転換にもなっていたりもしたのだ。


そんなこんなしているうちに、うどん屋の仕事もだんだん慣れてきて、話ができる友達も見つかり、楽しくなってきたりもして、それはそれで落ち着いてしまっていた部分もあった。


このまま、ここでアルバイト暮らしでもいいのではないか、という疑問も絶えず持ち合わせていて、新しい職場に30半ばのおじさんが転職するということは、なかなか簡単なことではない。


仕事を探すだけでも相当のストレスだし、自分の環境でできる仕事がないという現実も受け入れがたかった。


うどん屋で仲良くなったおばちゃんたちから食事に誘ってもらったり、野菜を分けてもらったり、それなりに楽しくやっていたから、また仕事場を変えて新しい環境で仕事を覚え、新しい人たちと新しい関係を作っていくのが、今更なんだかとても面倒なことのように思えるのだった。


30過ぎのおじさんがアルバイトというだけでも、そうとう好奇の目で見られるわけで、根掘り葉掘り聞かれたらある程度は自分の素性を話さなければならないだろう。それを受け入れてくれる職場なのか、好意的に思ってくれる人たちなのか、そんなことを考えると、どんどんどんどん憂鬱になっていくのだった。


しかし、今のままの生活ではテレビも買えないどころか、いつかまた破たんしてしまうだろう。圧倒的に収入より支出の方が多いのだから。


環境を変えなければ新しい道が開けないのも、また事実だった。




僕のささやかな決断の一つ一つが、子供たちの人生を左右する。それがたった一人で挑んだ父子家庭という生き方だった。


誰に相談することも出来ず、どの道を進めば正しい道なのかもわからない。そんな暮らしの中で、どうすればいいのか、どの道を選択すれば子供たちのためになるのか、そればかりを考えていた。


新しい職場の候補地として、自転車か徒歩で通える範囲内から、思い切って隣町の水戸市まで広げてみることにした。


さすがに候補地が狭すぎていくら探しても埒が明かないということで、茨城県の県庁所在地水戸市に仕事探しを託してみるのだった。


運がよかったことに、自宅は最寄りの「勝田」という駅から比較的近いということもあったし、その「勝田駅」に向かうローカル線の駅が目と鼻の先というロケーションだったため、交通費の支給があるバイト先なら、電車に乗のってさほど苦も無く行けるのではないかと考えたからだ。


最近どうやら水戸駅の南口が再開発され、大きな駅ビルが完成したという噂は耳にしていた。


水戸駅内の店ならば、水戸に着いてから歩く必要もないし雨にも濡れない。駅ビルだから電車通勤にも便利なのではと思ったのだ。


僕はさっそく求人情報誌をめくり、水戸市のアルバイトを探し始めた。数件の求人があったのだが、どれも似たり寄ったりで決めかねていたのだが、そんな中で1件、僕の目に留まる求人があった。それは、水戸駅南の駅ビルに入る飲食店で、その求人には「新規オープンにつき追加スタッフ10名募集」といった感じで書かれていた。


僕の目に留まったのは、新規オープンの方ではなく、10名募集の方だった。


1名しか採用しないアルバイト先では僕が勝てる見込みは少ないだろう、しかし、10名となればチャンスありなのではないかと、淡い期待を抱いたからだ。


早速書かれていた電話番号にかけ、担当者に面接してほしい旨を告げると、曜日と時間と場所を指定され面接の運びとなったのだった。


自転車に乗っていても時たま秋を感じさせる涼しい風に吹かれるようになっていた9月の上旬に、水戸駅南口にできた駅ビルのレストラン街にある1つの飲食店に履歴書を持って訪れることにした。


まだうどん屋の仕事は続けていたので、休日を利用しての面接にしてもらった。


定食屋のような雰囲気、新潟から直送の米と魚を使った料理が売りでフランチャイズ展開を目論みながらの駅ビル初出店らしく、オーナーは新潟の米屋ということだった。なぜ新潟の米屋が水戸の駅ビルにテナントを出店しているのか甚だ疑問だったが、余計なことかと思い直した。



15時過ぎのお客が引いたタイミングで面接は設定されていて、到着するとすぐに奥の個室に通された。しばらく待たされた後、マネージャーを名乗る、年のころは僕とさして変わらないスーツ姿の男性が面接官として現れ、履歴書に目を通し、希望の条件を聞かれ、簡単にどのような仕事なのかの説明を受けた。父子家庭で一人で子供たちを育てていることも告げたし、これ以上遅くまでは働けないという時間も伝えた。それでいて週にこれだけの時間は働きたいとか、まだ仕事をしているのでその仕事を辞めるのに2週間程度の時間がほしいとか、こちらの個人的な事情もすべて話たうえで、意外にもあっさり話がまとまった。


マネージャーを名乗る男の人は、ひとしきり僕の境遇に感心しきりで、一定の理解を示してくれた。その上でできる限り協力したいと思いますなどど言われて、後日改めてご連絡いたしますとかいうことになり、数日後の電話をもらい晴れて採用の運びとなったのだった。


自分でも拍子抜けするくらいあっけなく転職先が決まり、どうせ落とされるだろうと思っていたので慌ててうどん屋の店長に9月いっぱいでアルバイトを辞めたい旨を伝え、10月頭から新しい職場へと転職することにした。


震災で仕事もお金もなく、子供2人を抱えた父子家庭の30過ぎの僕みたいな物に仕事をくれて生活をさせてくれたこのうどん屋と若い店長には感謝して余りある。ただ、このままここにとどまってもいられない。どうしても先に進まなければならない事情が僕にはあるのだった。


うどん屋の仲間は、みんな寂しがってくれて「別なところ行っても頑張るんだよ、子供たち大切にね」と声をかけてくれた。


長袖を羽織らなければ肌寒くなってきた10月の頭から、新しい職場での生活が始まった。


それは高々、時給にして70円アップのための転職だった。




勤務地が水戸ということで、勝田から水戸までの電車賃は交通費として全額支給してもらえることになった。あわよくばと思い、勝田駅まで通っているローカル線の電車賃も交通費として認定してもらおうと思ったのだが、さすがにそれは認められなかった。


勤務時間はシフトになっていて、基本的には10時から17時まで。土日祝日とかその他繁忙期は9時から17時、または18時までの勤務。お昼はメニューの中のものなら何割引きかで食べられると言っていたが、何割引きでも数百円はしたので、食べないことにした。


時給は850円。


ざっと計算しても月10万はもらえるだろう、ほんの少しずつではあるが収入はアップしている。これでいい、少しずつでも前に進めればそれでいい。


仕事の内容は厨房内での作業で、入社当初は洗い場だったが、数日もしないうちに調理担当の一角を任されるようになって、魚を焼いたりから揚げをあげたりした。


新潟から直送だというホッケと黒酢をベースにしたタレを絡めたから揚げが一番人気で、1日中魚を焼きながらから揚げを揚げていたりもした。


仕事は単調であまり面白くはなかった。


厨房には僕以外に2人の男性がいて、2人ともオープンから働いているのだそうだ。どちらもアルバイトらしく、1人の人はいずれ自分の店を出すためにいろんなところで働いてみながらお金を貯めていると言い、もう1人の人は司法書士になるために日々勉強中なのだそうだ。2人とも僕より少し年上で、慣れて来たらよく面倒を見てもらった。


他にもパートのおばちゃんや若い高校生のバイトなどたくさんの人が働いていたが、僕と同時期にアルバイトとして入社してきたものはなく、10名募集の求人はいったい何だったのかと思った。フランチャイズ展開を目論んでいる割には管理がずさんで、本社から派遣されてきている店長は、料理未経験の人だった。


働き始めてすぐから、なんだかおかしなところがちらほら見受けられる店だったが、まあ、こんなもんかとあまり気にもしなかった。どうせ長くいるつもりもないし、しばらく働いてまた落ち着いたら仕事を探し転職するつもりでいた。僕にとっての興味は、時給が850円ということと、希望通りのシフトに入れるという点のみだったので「こんな店でも駅ビルのテナントに出店できるんだなぁ」などと大きなお世話も感じていたのだが、正直そんなことはどうでもよかった。


食材の仕入れや管理もいい加減で、作っている料理も素人感覚、仕事中の飲み物は炭酸水なら飲み放題で、とことん環境に流されるタイプの僕は気合入れず仕事は適当にこなしていた。遅くても18時までの勤務だったから見たことは無いのだけど、夜になると居酒屋風に営業形態を変えるらしく、お酒も充実していた。ウイスキーと炭酸水のサーバーが備え付けられていたので、仕事中にいつもこっそり飲み放題の炭酸水の中に少量のウイスキーを入れたハイボールを、勝手に作って飲んでいた。


仕事にもすぐに慣れ、一緒に働いている人たちとも問題なく打ち解けた。働く時間が長くなったし、距離も遠くなったから体もきつくはなっていたけど、こうして仕事があるだけで感謝するべきだと思っていた。


仕事でいくら大変だとか体がきついとかいっても、5年間もたった一人で子育てをしてきた僕にとって、仕事などどれをやってもむしろ楽なくらいだった。


休憩時間はただぶらぶらして過ごした。お金もないから駅ビルの別のテナントをぐるぐる回って見たり、電気屋のマッサージチェアで居眠りをしたり。時たま天気の良い日などは外に出て学校帰りの高校生とか、サラリーマンをずっと眺めていた。椅子に座り、ただぼんやり時間を過ぎるのを待つだけの休憩。行き交う人たちがみな幸せそうに見えた。こうして一人で街を眺めるなんていつからしていないだろう。


華やかな服を着て、みんな楽しそうに大声で笑いあっている。そういえば最近あまり笑っていない。駅ビルの並びには映画館もあり、その建物の壁には大きなモニターがあって、そこには最新映画の宣伝や、流行りの歌手がリリースしたPVなんかが流れていて、それを眺めてみたりする。テレビの無い生活をしている僕にとって、流行りの歌手も最新の映画も、初めて見るものばかりだった。

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