第二回 イランで自動小銃を突きつけられて、地下室に連行されたときの話。

前話: イランの砂漠の真ん中で、革命防衛軍兵士に自動小銃を突きつけられて、地下室に連行された話 その1
基地の入口は、簡易なプレハブの公衆トイレくらいの大きさだったと思う。
鉄の扉をくぐると地下の秘密基地への階段が暗く広がっていた。

一階ぶん下り、少年兵が扉の前で何か叫ぶと
扉を開けて、私を中に入るように促した。

不思議なことに、その時私の頭の中にあったのは
「殺される!」「拉致られる」ではなく
「バスがそのままいってしまったら、バスの天井にくくりつけた
バックパックがなくなってしまうなぁ」
ということだった。

部屋の中には、司令官らしき人がテーブルの上に足を乗せて
雑誌のようなものを読んでいた。

私の顔を一瞥すると、
うれしそうに、一言こえをあげた。
「OSHIN!」
::::::おしん?
「Oho! oOshin!」
そのあと、私は日本人で、旅行をしている。
一人だ的な会話を英語でしたのだが、
彼は「OSHIN!OSHIN!」と大興奮で
お菓子やたばこを無理やりくれたのであった。
自動小銃からの、まさかに展開にとまどうばかりだったが
司令官いわく、今TVでおしんが放映されていて、
日本は大変まずしくて、苦労したがえらい。
アメリカに原爆落とされて、国はぼろぼろになったのに
よくがんばった的なことを言われたのであった。

当然、少年兵は怪しいやつを連行したのであるが
司令官が「oshinファン」で、日本人が来たので、うれしくて
いろいろ話したくなったらしい。
荷物検査などは一切されず、お茶とお菓子をたばこをごちそうになり
その部屋をあとにすることになったのだが、
実は靴底には闇ドルを持ち込んでいたので、検査をされたら
まずかったのである。

後で知ったのだが、その当時 おしんがイランで放映され
視聴率は過去最高で、空前のおしんブームが到来していたらしい。

おしん=日本人=えらい

という論法で、その後、どこにいっても私は人気ものだった。

イスファファンでは家に泊めてもらったし、
バスでの旅行中は、みんなお茶やたばこを私におごりたがった。
インドでよくある睡眠薬は入ってなかった。

さて、無事に地上に出ると心配だったバスは基地のゲートの前にまだ止まっていた。

その瞬間、私はとってもうれしくなって、安心して、急に怖くなったのあった。
バスに再び乗り込むと、乗客のみんなも私が殺されているのではないかと
心配していた様子で、なぜか安堵の表情を浮かべ、歓迎してくれたのである。
バスは、再び走り出し、砂漠の中を次の街へと向かったのであった。

この時のおしん体験を経て、コンテンツが人々をつなぎ、誰かを助けることが
あると思い、広告会社に入ってコミュニケーションの仕事を志すことになるのだが
このときの無謀な永井青年にそんな未来のことは知る由もないのであった。

おしまい・


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