【第32話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。

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薬を飲めば気絶してしまうので、家のこと子供たちのことが一切手につかず、仕事が山積みになり、結局自分自身を苦しめる。考えるなと言われても、僕には考えねばならぬことがたくさんありすぎた。


休養を取れと言われても、家事や育児は休みをくれない。仕事は休んでも、体をゆっくり休めるまでには至らない。時間をかけろと言われても、そのすべての方法が否定されてしまった今、時間のかけようがなかった。


具合を悪くすることも出来ないという今自分が置かれている状況を、改めて思い知らされた。


休みたいけど休めない、やらなければいけないことは手につかず、結果自分を苦しめる。


薬によって眠らされても、やらねばならぬことを先送りしてしまった無念と、子供たちに迷惑をかけている自分に対しての自己嫌悪、そして、こんなことをしている場合ではないという焦り。


どれほど憤ってみても、その矛先は分からぬままだった。


後悔と強烈な自己嫌悪を知った僕は、薬を飲むことをやめ、病院に通うこともやめて、自力で克服することに決めた。


それしか僕に残された道はなく、こうなったら、頼れるものは自分自身以外ない。


そんなことが可能なのかどうなのか分からなかったけど、心療内科の先生に、今僕が置かれている状況を説明しても仕方のないことのように思えた。


今までさんざん、この悲惨な境遇を理解してもらおうと、考えられる方法で伝える努力はしてみたけど、そのどれもが伝わるということには遠く及ばなかった。伝わらない物を伝えようと努力することに、もう疲れてしまっていたのだ。

どこからさかのぼって説明すればよいのかさえ、もう分からない。


そもそも、病院に行って治療を受け、薬を飲み、その力に頼ってこの状況を脱却しようなどという考え方自体、虫が良すぎたのかもしれない。今までだって、いったい誰が助けてくれたというのだろうか。


僕達が生きるか死ぬかの瀬戸際にいたとしても、誰も助けてはくれなかった。一笑に付されるか、批判されるか、相手にされないか、良いリアクションをとってくれたとしても「大変だね」と声をかけてもらうのがせいぜいで、ひどいときになると「自分だけが大変だと思うなよ」とか「世の中にはもっと大変な人いるんだから」とか「こんな生活しててまともな子供が育つはずない」とか言われる有様。


何もわからないくせにと、どんな時も唇をかんで、歯を食いしばって我慢してきた。


何が正しいのかなんて分からない、それでも自分を信じて、いや、自分だけを信じて生きてきたのだ。


それが僕の生きる道だ、理解されないなら仕方がない。


良いか悪いかではない、明日も生きていけるのかどうか、子供たちにご飯を食べさせてあげられるかどうか、ただそれだけなのだから。

ただそれだけのことに、正しいも間違っているもあるものか。


「人を頼ってはいけない、誰も助けてはくれない、どんな時も自分の力で乗り越える」


僕は悔しくて涙があふれそうになるのを、歯を食いしばってこらえてきた。


「よし、大丈夫だ、俺ならできる。子供たちのために、ここからまた先に進む」


晩ご飯の支度をしながら、僕は心に誓った。


心に誓ったけど、体の具合は最悪で、この先どうなってしまうのか怖くて怖くて仕方が無かった。

でも、やると決めたら命がけだ。

先に進むために、生活も少しづつ改善しなければいけないと思った。


まず薬を飲むことをやめよう。薬に頼る自分の考え方を改めなければいけない。


だからといって朝から酒を飲んでいても仕方がない、体調をみながら庭の草むしりをしたり、部屋をきれいに片づけてみたり、天気の良い日は散歩に出かけたり、なるべく体を動かすことにした。


季節は秋になり、体を動かすことは苦痛ではなかった。


どうやら家にいると考え込んでふさぎ込んでしまう傾向があると気が付き、気分がふさぎ込んで来たら思い切って外に出る。近所に広いグラウンドがあったから、そこに行って何時間も歩き続ける。ただひたすら歩き続けている。家のことは先に進まないけど、薬で気絶させられるよりはよっぽど健康的に違いない。


そうすることによって体はいい具合に疲れ、時間も過ぎ、あまり考え込まなくてもよくなるし、夜も比較的眠れるようになった。


うつ状態でいると、熟睡が出来なくなる。眠れないし、寝たとしてもすぐに目が覚めてしまう。


目が覚めると不安が怒涛のように押し寄せ、夜の闇に震えることになる。こうなると気休めに酒を飲んでも眠れない。酒も入りなお眠れないとなると余計に気分が不快になり、不安定になっていく。


夜中中起きているわけだから、考える時間もたっぷりあるわけで、悪いことを考え出すとキリがなくなり良い方向には向かわない。


これは悪循環である。


睡眠は大事だ。毎日きっちり睡眠をとれるように、体を動かした。生活のリズムを整えることが、健康への第一歩であると、僕は考えた。そのため日中はもちろん、夜中だろうと明け方だろうと、気持ちが滅入ってきたときには外に出た。悪いことを考えそうになったら、外に出る。


夜の街を一人うろうろしたり、明け方の駅前商店街をさ迷ったりした。


気分がふさぎ込んだら汗をかき、残りの時間は図書館に行って本を読んだ。


どんな本でもいいから没頭して読み進める。なるべく考え事をさせないように集中するのだ。


仕事もしていなかったし、子供たちが学校に行ってしまえば夕方まで時間がある。


本を買いたいところだが、金がない。


グラウンドを何周も何周も無心で歩き、図書館に行き、汗をかいて本を読むの繰り返し。


1日に2冊は軽く読めてしまう。どんな本でもいいから、気になったら読んでみる。それによって何か良い発見があるかもしれないし、本を読むことは嫌いではなかったので、気分転換にもなった。


うつ病の本や、うつ病の関連本も漁るように読んだ。まずは敵を知らなければ、勝負のしようがない。


それでもどうしようもないほど気分が落ち込んで外に出られないときは、布団をかぶってうずくまっていた。


雨の日は特に気分が落ち込んだ。外に出るのも億劫で、家にいても気分がさえない。掃除や洗濯もはかどらないし、しゃべる相手もいない。もしかしたら自分は一生こんな暮らしをしなければいけないのかもしれない、誰からも必要とされない人間なのかもしれないなどという考えが、頭の中をぐるぐるするのだった。


それでも感情や思考や体調は、ずいぶんコントロールできるようになり、酒を飲まずともいられる時間も多くなった。それは、うつ病を克服するための一つの考え方というか、方向性のようなものを、手に入れていたからだった。


いつものように散歩に出かけ、ふらっと立ち寄ったコンビニで何気なく手にした本に、こんなことが書かれていた。




「すべての感情は脳の錯覚である」




仏教関連の教えを説いた本だったと思う。


怒りだったり悲しみだったり、人間が抱く感情の全ては脳の錯覚だ、と言うのだ。


脳の、錯覚・・・


そうか、もしかしたらこの憂鬱で死にたいと思う感情も、僕がそう思い込んでいるだけのただの錯覚で、単なる思い込みに過ぎないのではないか。だとしたら、考え方、もしくは逆の思い込みによって症状を改善させられるのではないのか。


良い錯覚を脳に与え続けるということ。


またある日、古本屋に立ち寄り読んだ本にこんなことが書かれていた。


それは昔出版されたベストセラーの自己啓発本で、そこに書かれていた「引き寄せの法則」なるもの。自分の成りたい姿、望むものを強く頭にイメージすることにより、願いが叶うといった趣旨の話で、ポジティブシンキングのすすめみたいなものだったと思う。


本には何やらいろいろと書かれていたが、つまりこういうことではないのだろうか。


「自分の全ては自分の脳みそ一つで変えられる」


この考え方が正しいか間違っているかは知らない。しかし、そう思い込んでみることにした。


これは僕にとっては目から鱗、もってこいの方法のような気がしたからだ。


みんなの読んで良かった!

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