400万円の借金先延ばしの失敗から学んだ、先延ばし克服法。不快なものから手をつけることで、収入アップ、返済が計画以上に、そして幸運体質に。
ブライアントレイシーの言葉。
彼が言っていたことは、
かえるは気持ち悪くて、だれも食べたくないもの。
でもその一番大きな、一番気持ちの悪いかえるから食べなさい。
つまり、「不快なものからやりなさい」ということでした。
不快な借金。でも返済の先延ばしをやめやろうと努力し始めていた僕。
それはまさしく不快なことからやる、ということで、彼が言っていることの意味がとてもよくわかりました。
そして、とにかく不快でしょうがなかった借金から手をつけようとルールを決め、毎日あさイチで借金返済のための仕事にてをつけるようにしました。
とにかく毎日、ちょっとでもいいから、その「不快な仕事」から手をつけるようにしました。
全部やろうと思うと圧倒されるのですが、
小さく分けてやってみたところ、本当にうまくいきました。
借金全体を考えていたときは、
「向き合いたくない」
「今の僕には返済できない」
としか思えなかったのに、
具体的な小さな目標額に変えると
「できる、目指そう」
と思えたのでした。
圧倒されると人は手を付けなくなるようです。
そして時期が来たらやろう、と先延ばしし始めます。
僕はとにかく、あさイチに不快なことから。それを繰り返しました。
ブログも書いていますが、ブログも正直書くのには時間がかかりますし、内容を考えるのが面倒くさい時があります。
でもそう思った時には、
「不快だな、よし、やろう」
とその不快なブログからあさイチにやるようにしました。
新規事業を考える時もうまく考えが整理できなくて、
「今日は考えるのが嫌だな。また明日にしようかな。」
と思ったら、
「不快だからやったほうがいいな」
と思って手をつけるようにしました。
このように、とにかく不快なことからあさイチで手をつけるということを徹底していったところ、
僕の人生がどんどん変わり始めました。
まず一つには臨時収入が入るようになりました。
例えば英語教室のブラッシュアップを考えた時、急にある方から、「娘の受験のために英語を教えてほしい」と依頼されたのでした。
そしてその謝礼もこちらから提示する額よりももっと多い額をお支払いくださり、僕にはとても大きな臨時収入になりました。
それは本当にありがたく、借金返済に回すことができました。
やり始める前はとにかく嫌でいやでしょうがなかった借金返済。
「お金のことを考えて毎日生きるなんてしんどい。」
「ストレスで頭痛になっちゃう。」
と思っていたのに、
いざはじめてみると、頭痛も全くありませんでした。
むしろ逆に、目標がはっきりして、集中力が高まり、朝も早く起きられるようになりました。
「よし、やるぞ!」という気持ちで朝目が覚めるのです。
ちょっとずつ仕事の流れもよくなっていき、返済もできるようになると、
「やった!できた!」
「あんなにできなかったことができるようになった!」
と、成功体験に喜びを感じるようになりました。
そうすると、
「もっとやりたい!もっと高い目標額を達成しよう!」
とどんどん意欲がわくのです。
自然にわくのです。
あんなに嫌だった借金返済、頭痛になるって心配していたのに、
それはただのいいわけだったんですね。
3月初めにスタートした借金返済。気付けば、3月はこれまでの自営業で得た事がない額の収入になりました。最低時期の約3倍。
たった1ヶ月「不快なことからあさイチにやる」ということを徹底しただけで、こんなに即効性があるとは自分でもビックリでした。
しかし、考えてみると納得する部分もありました。
私達にとって大切なことややらなければいけない大きなことって不快です。
ですからそれをできるだけやらないで、先延ばししたい、という気持ちになるのはある意味当然かもしれません。
でもその不快な、大切な、やらなければならないことから手をつけるようになれば、つまりはそれは自然に大切なことに自分を集中させることになり、成果も上がるわけです。
ちなみに、本当に大切なやらなくてはいけないことは目の前から消えないので、ずっと気になり続けるだけです。
1年経っても、2年経っても、やらない限り気になり続け、自分を悩ませるだけ。
大切ではないものは目の前から消えてくれますが、大切なものは絶対に消えません。
僕の借金が正にそうでした。大切だから、絶対に消えてくれなかったです!(当たり前と言えば当たり前なのですが。汗)
だから、その大切なことをどれだけ早く手をつけられるか、それから始められるかがキーなのです。
それに気づきました。
本当にちょっとしたトリックで、
不快→だからやらない
を、
不快→だからやる
に変える。
ただこれだけ。
これにすれば、どんどん不快な、すなわち大切で重要なことに手をつけるようになるため、成果がどんどん上がるわけです。
特にこの不快なことから手をつけるということで、僕の印象に残っている大きなことは、
8月に企画した地元岡山県津山市でのLGBTs講座です。
今僕は杉並区で すぎせく 杉並性的マイノリティ共生の会というボランティア団体の共同代表をし、杉並からLGBT(性的マイノリティ)のことを伝える活動をしています。
東京や札幌でも講座をしたことがあります。
しかし、地元岡山県津山市ではやったことがありませんでした。
いつも口では、
「都会よりも田舎のほうが悩んでいる性的マイノリティは多い。田舎の人に正しい知識を知ってもらうことこそ一番大切。」
と言いながら、田舎での活動にはずっと躊躇していた僕でした。
特に親との関係や親戚との関係を考えた時、心配なことしか思い浮かばなかったからです。
「僕が田舎で講座してしまったら、周りのご近所の人に知られて、親に情報が入って、きっと親は怒るだろうな。反対するだろうな。」
「親戚の人はびっくりして、内の実家に電話をかけてきて、親は困るだろうな。」
そんな考えしか出てこず、自分は一番大切だと言っていた田舎での活動には全く踏み出せないのでした。
しかし、ある友人が地方の田舎で性的マイノリティのグループを作ってがんばっている姿を見て、僕もやっぱりやろうと少し気持ちがわいて来ました。
「田舎で講座をやるのはとっても不快。でもそれってつまりはやったほうがいいっていうことじゃない?大切なことだから余計に不快なんじゃない?」
あなたの親御さんの人生を雑誌にしませんか?
著者の竹内 清文さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます