嫌いだった父が倒れたので、日本一周の旅に出ます。
プロレスラーになる夢はあっけなく散り、高校生活を終えた私は千葉の短大に進学後、都内にある小さな工務店に現場監督して就職しました。
新卒で配属された現場が鬼のような忙しさで、朝から晩まで現場にいるのは当たり前。
家に帰るのはいつも深夜で、繁忙期には3か月休みがないなんてこともありました。
母から電話がきた時も、いつもと同じように現場事務所で作業していました。
母の第一声が、
「お父さんがいなくなった」
でした。わけがわかりません。
母は動揺していたので会話がめちゃくちゃでしたが、
話を聞いていると父から自宅にいた母の元へ電話があり
「借金取りが家の外にいるから気をつけろ」
「俺はもうだめだから死ぬ」
と言われたみたいです。
とにかく実家に帰って状況を確認しようと思い、所長に事情を説明して翌朝の新幹線で新潟に帰りました。
初めて見た父の涙
実家に帰ると親戚が集まっていて、すでに捜索願いを出した後でした。
父との連絡は最後に母に電話をかけてきてから取れていません。
ただ、母との最期の会話では車で北海道に向かっていると話していたようです。
この時の私はなにが起きているのか現実を受け入れることができず、なにをしていいのかわからない状況でした。
親戚との話し合いの結果、
「捜索願は出したから、自宅でお父さんからの連絡を待とう」
という意見で固まっていました。
私はなにも考えることができず、ただただ状況を見守ることしかできません。
日も暮れ、親戚達が帰ろうとしていると
普段は意見を言うタイプではない母が、
「北海道に行く!」
と親戚を説得しだし、私達家族と親戚数名で北海道に向かうことになりました。
父が見つかるあてはありません。
しかし、母の意見に反対する人はいませんでした。
出発した時間が遅かったので夜通し車を運転し、
青森からフェリーに乗るころには日が昇っていました。
フェリーから海を眺めながら、
「親父はどんな気持ちで海を見ていたんだろう」と考えてました。
北海道に到着し、ダメ元で父に連絡してみるとなんと電話に出ました!
初めは私達に会いたくないと言っていましたが、なんとか説得し新千歳空港で会うことに。
今まで張りつめていた空気がようやく和んだ瞬間でした。
空港内の待ち合わせ場所に行くと、申し訳なさそうな表情の父が立っていました。
父は泣きながらみんなに謝っていました。
1000万円の借金
父は癌が見つかってから、ずっと精神的に不安定な状態だったみたいです。
ちょうど私や姉の進学に伴う費用がかかる時期だったので、もし自分が死んだらどうなってしまうのかと考えていたようです。
そんな時期にたまたま病院で出会った人から投資の話を持ち掛けられやってみるもうまくいかず。
銀行から1000万ほど借金をしている状況でした。
親戚からは、たった1000万で死のうなんて思うな!と怒られていましたが、金額以上に精神的に追い詰められていたんでしょう。
いつからかはわかりませんが、建設業の方もうまくいっていないみたいだったので。
きっと私たち家族を不安にさせないように振る舞っていたんだと思います。
最後に父が、
「これから頑張る、今回は本当に申し訳なかったと」
謝罪し、この事件は幕を閉じました。
その後私は都内に戻り、何事もなかったように忙しい毎日を過ごしていました。
北海道から帰って来てちょうど1ヵ月くらいたった時のこと、
久しぶりに母から電話がありました。
母と話すのはあの事件のあと初めてです。
少しだけ驚きましたが、母が決めた決断だったので反対はしませんでした。
というかすでに離婚してから連絡がきたのでw
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