自身で開拓したバセドウ病治療のルート~一冊の医学書との出会い~
なんとなく図書館へ行ってみた。
17才で「バセドウ病」を患った私は、23才になっていた。(2008年)
17才→23才は自分でもびっくりするぐらい薄い6年間だった。
投薬治療は受けていたが、これといって効果なく・・・
「ただ生きる」のが限界だったように思う。
18才・・・何してたっけ。
19才・・・名医との出会いで心が落ち着く。
20才・・・「近況報告」が怖すぎて成人式、欠席(正しい選択だったと思う。)
21才・・・バイトしたりしてみても、体調悪く、全く続かない。
22才・・・「大学いってた子」たちも就職しだし、焦る。
23才・・・『これではいけない!!!!』=『何やってんだ、私』
ついに私の中の『意欲』が騒ぎ出した!
とりあえず「医学書」を読もう。
しかも図書館で借りたらタダ(これ大きい)
そうして23才のある日、地域の図書館に出向いたのが、転機となった。
そこで見つけた本『甲状腺の病気を治す本(法研、栗原英夫ドクター)』
この一冊の本との出会いが、後の私の人生を創るきっかけになる・・
(バセドウ病は、「甲状腺のホルモン異常の病気」です。)
医学書なのに固くなく、わかりやすい解説。
「めっちゃわかりやすい!お礼を伝えたい!」
そんな想いで栗原英夫ドクターに手紙を送ったのです。
すると、速達にてお返事をくださり、びっくりしました!
大阪・岸和田の23才(当時)と、岩手・盛岡の81才!!(当時)のドクターとの文通。
そこには、柔らかな温かい時間が流れていました。
闘病冊子をドクター監修にて出版!
何度目かのお手紙にて。
「あなたの物語をそのまま絵本にしましょう」とのお話しをいただきました。
私の高校三年生の一年間がまとめられています。
コチラ↓
現在、日本甲状腺学会、小・中・高校保健室、医療系学部のある大学、思春期外来・循環器内科の待合室等に置かせていただいています。(非売品です。)
大変だった現実を、結構リアルに再現しています。
自分で読んでいて、目を伏せたくもなります。
きっといつまでたっても、17才の病気発症の思い出は「切ない思い出」
だけど、きっと少しずつ「抱きしめたい思い出」に・・・
(『負けないーバセドウ病と共に生きる』より抜粋)
自身の気持ちの整理にもなりました。
「バセドウ病ってこんな病気」「思春期でバセドウ病になるって?!」を一冊に込めています。
バセドウ病って「はっきりした症状」があまり出ないのです。
なんとなく落ち着かない。
一つのことに集中できない。
とにかく暑い。
おなかがすく→食べても太らない
疲れているのに動かずにはいられない。(逆に元気に見えたり)
(症状には個人差があります。)
バセドウ病の性格
「はっきりした症状」じゃないからまず「本人が病気って感じない」
特に思春期でバセドウ病になった場合、「思春期だからそんなこともある」で片づけられることも。
私も17才で発症したため、そんな感じで発見が遅れました。
「なんとなく変な症状」から「それって病気だよ」という「病名をもらえる」まで、実に10か月かかりました。
「(病気でもないのに)やる気がなくて、だらけていて、落ち着きがない」
そんなレッテルを貼られ10か月の学生生活を過ごしました。
本気で寿命か!?とも考えていました。
「こんなに苦しいのに病気でも何でもないって、もう死んでしまうんじゃないか」って。
病院も、学校保健室にも幾度となく相談に行っていました。
だけど分かりませんでした。
『第二の岡森陽子をつくりたくない!』
この想いが、今の私の原動力となっています。
どこかのだれかが、同じ想いで苦しんでいるかもしれない。
バセドウ病の世間への周知は、「私の生きる使命」とすら感じるのです。
決して「わかってほしい」という独りよがりな想いではなく・・
「こんな病気もあるんだ」と、知っていただきたいのです。
私の活動を目にして、ひとりでも多くの方が「希望」を見てくださることを願います。
『パンダの親子』227×158mm 2016
次回は・・・
初・一人旅~!岩手・盛岡(ドクターのいらっしゃる町)の「甲状腺の病気 市民公開講座」に出席してきた話、です。
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