北山杉の中で「聖者が街にやってくるを聴いた」 こんなことがあった その9

京都府の北の京北町にある北山杉林の中の「愛宕道」というペンションに到着して、車を降り荷物を持ち、玄関へ歩き出すとジャズバンドの生演奏らしい大きな音が聞こえてきた。山中の一軒家のペンションだから、ここから聞こえてくるしかないが、静かなペンションと思い、予約したのにこれは一体なんだろうと近づくと、女主人らしい人が玄関先で心配そうに待っていた。彼女の話では立命館大学のジャズ倶楽部のOBが20数名ここで合宿しているとのこと。中を覗くと食堂で、50代に見えるリラックスした格好の男連中が、ビッグバンドを組み、いい緊張感でかなりうまく演奏している。女主人が心配そうに、やかましいと思われるようだったら、今晩の宿泊はキャンセルしてもらって結構ですと言う。

人出も少なくなると見はからって8月17、18日の2日間、京都府の北部をまわることにしたのだった。名神を使って京都に入ると、まだ混んでいるかも知れないので、逆ルートで福知山から美山町を経由して京北町に入り一泊。翌日、周山街道を走り北山杉を見て嵐山高雄パークウェイ経由で京都市内に入ることにした。福知山へは中国道経由高速道路の舞鶴道に乗れば早いが、六甲トンネルを抜けて三田から無料かつ走りなれている地道のR176を走った。時折舞鶴道の橋脚の下を通りながら丹波篠山地域を通過し丹南町、柏原町を道の両側の濃い緑の山並みに包まれて走る。

福知山の手前で三和町に右折し,田舎道や山道をあっちだ、いやこっちのはずと例のごとくカカーナビと争いながら何とか目指すR27に入った。車に滅多に会わないどんな田舎を走ってもきれいに舗装された鏡のような広い道路があるので、田中角栄さんの「土建国家日本」政策の成果を実感する。どの農家も大きく立派で瓦屋根が光り、日本の農家は残った長男が戦前と違い相対的に余裕のある生活をしているようにも見える。

それもこれも都会へ出て遠距離通勤で苦労したり、劣悪な住宅条件で都心に住む、サラリーマンの次、三男から源泉徴収された税金が、地方優先で使われていることにあるのかも知れない。

いまさら、別のところを紹介されてまた、でかけるのもしんどいし、聞くとある水準の演奏レベルみたいだし、ジャズは嫌いではないと言うか好きなので、予定どおりこのペンションに泊まる事にした。 いえ、泊まりますよと言うと、ペンションの女主人に言うと彼女は喜んでくれた。

そして彼女の娘さんが二階の部屋に案内してくれた。部屋は候補が二つあって、一つは川に面したいい部屋らしかったがホール(食堂)の真上というのでこれは断って、ホールから一番遠い山に面した部屋にした。

食事は合宿メンバーと一緒で賑やかだった。リーダーらしい人から、メンバーが飲んでいた。ポートワインを大きなグラスにたっぷりついで回してきた。ご迷惑をかけているのでと。ありがたく頂いたがおいしい。聞くとポルトガルで2週間前に買ったものだとのこと。女主人との会話やみなの話を食事をしながら聞くともなく聞いていると、高松や和歌山など結構遠方からも参加しており、まだ現役の銀行の支店長や商社マン、商店主などが年に一回こうしてOB合宿しているようだった。

駐車場の車も軽四、ボックスカー、クラウンから外車までバラエテイに富んでいた。卒業して20数年たってはじめ、今年が4回目とのことで、最初はハチ高原のスキー宿でやっていたそうだ。学生の音楽関係の夏季合宿は、殆どが信州のスキー場の宿屋や民宿を使う、周囲に大音声が響いてもどこからも文句が出ないし、安くて涼しいからだとのこと。

30年近く前にジャズバンドを大学のクラブ活動ではじめて、いまだにこうして集まって楽しんでいる。心底いいなあと思った。ほぼ同世代の人達が自分達のアマ演奏を楽しんでいるのを見て、日本も一面いい国になったなあと思った。楽器を演奏できる人がほんとに羨ましい。いずれピアノに挑戦と先日も「オジサンのピアノ独習」だったかのNHKテレビのテキストを本屋でみかけ衝動買いしたところだ。

質量ともに文句のつけようのない夕食(市内の下手な京料理よりはるかにおいしかった)を済ませて部屋に戻ると、下から調子合わせの音が聞こえてきた。時計を見ると8時で夜錬がはじまったらしい。心配したほど音はやかましくなく、メンバーに適度にアルコールが入って、気持ち良くスイングしている「聖者が町にやってきた」が、ボーカルつきで流れて来た。持ち込み禁止のウイスキーを、旅行の時はいつも持ち歩いているスッキトルからコップについで飲む水割りが一段とうまく感じられた。

まあ、ある技量の人が残っているのだろうが、年に1回必ず三宮の国際会館ホールへ聞きに行く、「北野タダオとアロージャズオーケストラ」の演奏まではいかないにしても、プロに近い腕前のビッグバンドジャズの生演奏を何曲も、京都の北山杉の山中できかせてもらうとは思ってもみなかった。

昨夜は随分遅くまで練習をやったと言っていたが9時には演奏も終り、こちらは専属運転手としての疲れもあって知らない間に寝ていた。

 蛇足ながら、神戸への帰りは周山街道を次に高雄へ走り、何十年ぶりに神護寺に参拝して「嵐山・高雄パークウェイ」に入った。途中の展望台から保津峡を眺め、嵐山に下りて渡月橋をわたってしばらく走ったところで、街の中を「舟」が動いているのが見えた。保津川下りの舟が終点につきトラックに三杯ほど重ねて載せられ、また亀岡の出発点まで運ばれるているのだった。

話には聞いていたが、京都の狭い街中を舟が移動していくのは不思議なみものだった。

名神が混んでいるかもわからないので171号線(西国街道)に乗った。そのお陰で、山崎付近を走行中に「大山崎山荘美術館」がこのあたりにあるはずと思い出した。アサヒビールが「荒廃していた元加賀家の洋館」を買い取って復元したこの美術館は、戦前の関西のブルジョア資産家の一典型の御屋敷かと思う。天王山の南麓にありテラスから木津、宇治、桂の三川が合流して淀川になるのが見えて驚いた。

まあ、本当に戦前の金持ち、資産家というのはヨーロッパの貴族階級とまではいかないにしても凄いもんやと実感する。 171号線に戻って道路情報を携帯で聞くと、名神の下りは渋滞はないのがわかったので茨木インターで名神に乗り、阪神高速の魚崎で下りて家に帰った。トッリプメーターは382キロになっていた。 2002年8月の思い出。



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