【第43話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。~最終話まであと4話~

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前編: 【第42話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。~最終話まであと5話~
後編: 【第44話】父子家庭パパが所持金2万円からたった一人で子供2人を育てた10年間だったけど、これで良かったのか今でも分からずに文字にした全記録を、世に問いたい。~最終話まであと3話~

冤罪だ、こんなもの冤罪だ。


どこにぶつけたらよいかわからぬ怒りがこみ上げ、どこからこんなことになってしまったのか、夜な夜な考えた。


何がいけなかったのか、どうするべきだったのか、いつになっても考えはまとまらない。


虐待しているという事実があるのであれば、それを証明することはできるだろう。でも、していない物をしていないと証明するのは、非常に難しい。


口で説明しても、それはあくまでも僕が言っている独り言の言い訳に過ぎない。


月に2回は調停という名目で裁判所に呼び出され、ことの顛末を繰り返し説明する。


調停前の待合室窓から見える景色は、色付いた銀杏から、雪景色に変わった。


季節が移り変わっても、僕の濡れ衣は一向に晴らされることは無く、下の子も帰ってくる気配すら見せなかった。


どうやらこちらも話が複雑になりすぎて、出口を見失ったらしい。


僕が何を言おうが「元奥様の言い分はそのようなものではありません、意見の食い違いがありあます」


となり


「あなたが虐待をしていないということであれば、それ相応の証拠になるものを提出してください」


と言われる始末。


はなから、僕の言うことなど信用していないかのような言い草に頭に来た。


「証拠、証拠って言いますねどね、母親側の言い分にもそれなりの説得力のある証拠が出されているんですか?」


「それは出されていません」


「だったら、なぜあちらの言い分を正しいようない方をするのでしょうか、間違いなく、説得力のある証拠など向こうは出せませんよ、一緒に暮らしたことなどないんですから。養育費などのお金ももらったことないし、この10年、会ったこともありません」


「ここは話し合いの場ですから、双方の言い分をお聞きしないといけないわけで・・・」


埒のあかない押し問答が続き、僕はこう切り出した。


「それなら、もうこの際子供に聞いてください、どこに住みたいのか、本人に聞いてください」


「わかりました、元奥様が了承されたら、後日お子さんにお越しいただき、事情を聞きたいを思います」


「ぜひそうしてください、それまでに僕は下の子を虐待していないという物的証拠を提出します、その代わり、向こうにもそれなりの説得力のある証拠を提出させてください」


一体何を争っているのか、誰のために争っているのか、果たしてこれが誰かの利益になっているのか、甚だ疑問だった。


母親側に、僕が下の子を虐待しているという客観的かつ説得力のある証拠など、あろうはずがない。


離婚調停の時もそうだったのだが、そうは言ってもこの手の争い事は、女が有利だ。


母性優先、母親と一緒に暮らす方が子供の利益であるという考え方は、この国には根強い。


何が男女平等だよ、こっちは1円ももらわずに子供たち育ててるんだ、ご飯など父子家庭になってからすぐに食べさせることなど出来ないほどの状態だったわけで、それでも何とか子供たちだけにはと、自分の食費を削ってでもご飯を食べさせてきた。


そんなどん底の暮らしの時に、養育費なりなんなり、そんなに子供がかわいそうだというのなら出せばよかったではないか。


たった一人で子供を育てるのに、男も女もありはしない。


男だって、出来ないものは出来ない。たった一人で、いったいこれ以上何ができるというのか。


どうしろというのか、どうすれば良かったというのか。




こんな大変な思いをして子供たちを育ててきたのに、10年ほったらかしの母親から虐待で争いを仕掛けられる。


挙句の果てには、母性優先で圧倒的不利のアウェー状態で話し合いの席につかなければならない。


虐待していない証拠だと?


上等だよ、くそったれ。


こうなったら、この争いには絶対勝つ。


下の子の為ではない、自分自身の、父子家庭のプライドにかけて、この勝負は負けるわけにはいかないと思った。


こうなると何のために争っているのかよくわからなかったけど、この勝負に負けるということが自分自身納得が出来なかった。


僕が調停に提出した証拠は、自分で書いていたブログの全ページのコピー。


毎日作った食事とその時の出来事や感情をアップしていたし、下の子が家出をした経緯に関しても書き記していた。夏休みからの勉強のごたごたから晩御飯を食べられなくなっていくまでのいきさつも、書き記していた。


これが客観的な証拠と言えるのかどうかは分からなかったけど、父子家庭になってから残していたものは、これしかない。




その年の年越しは、初めて一人で迎えた。


下の子は相変わらず家には戻ってきていなかったし、上の子は友達と年越しをするような年齢になっていて、大みそかは早々に出かけてしまっていた。


毎年年末になると何かが起こり、無事年が越せるのかと不安になる。


それでもいつも3人で肩寄せ合って過ごす日々が支えになっていたのに、いつの間にかたった一人で年を越す日が来てしまった。


一人になると特にやるここともなく、テレビを見てもつまらない。


毎年鶏ガラで出汁まで取って作っていたお手製の年越しそばも、今年は誰もおいしいと言ってはくれない。


来年こそは良い年になりますようにと、願わずにはいられなかった。


年が明けても不毛な話し合いは続いていて、子供たちは2人とも進級し、高校3年生と中学3年生になっていた。


中学校のすぐ近くに自宅があるために、仕事が休みの時や夕方に、中学校近くで下の子を見かけることがしばしばあった。


髪は金髪に染め上げて、近所のヨークベニマルのベンチで仲間と煙草をふかしている。


耳にピアスなど開けて、学校近くまでは来ていても学校へは行っていない様子だった。


たまに顔を合わせても、声をかけるどころか目も合わせなかった。


今は何を言っても聞く耳を持たないだろうし、それなりに今の暮らしにも不満があるに違いない。



調停に提出したブログのコピーは、だからと言って何か展開が変わったかと言えばそんなことはなく、母親側から証拠の提出もされぬまま、下の子は裁判所に呼び出され事情聴取されたようだった。


裁判所から「お子さんのお話をお聞きして、そのお話の内容を記録しています。ご覧になれますので、ご覧になる場合は裁判所までお越しください」


と言っていたけど、バカバカしいので読む気にもなれなかった。


誰かと争うということは、それだけで相当の体力を消耗する。4カ月以上続くこの状態に、ストレスは極限状態で、落ち着くことのない心理状態が長引けば、やがてそれは不眠となり、疲れが取れない体を引きずって仕事に行く。

みんなの読んで良かった!

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