神ひろしの0からの出発・第七十一話『舞踏と舞踊の違い』
神ひろしは「舞踊家」です。「舞踏家」ではありません。
が、「舞踊」も「舞踏」も、良い物は良い。
悪いものは悪い。それだけです。
舞踏家 岩名雅記 & 神ひろし
★合氣道 研鑽会合氣道道場にて(田嶋和樹主催)
1950年代後半から前衛舞踊家土方巽(ひじかたたつみ)が、正統モダン・ダンスである「舞踊」に対抗して異端を強調するために「暗黒舞踏」ということばを使ったそうです。
以降、大野一雄、土方巽をはじめ笠井叡、麿赤児、芦川羊子、山海塾らの活躍によって、「舞踏」は国際的な用語になり、欧米では『Butoh』と綴られています。
また、鹿鳴館などで催された社交ダンスの会を「舞踏会」と称したらしく、舞踏を「西洋のダンス」「社交ダンス」と捉えられた時期もあったそうです。
が、今では、僕のやってる「ジャズダンス」や、「バレエ」は『舞踊』で、「舞踏」とは言いません。
◆神ひろしの唯一の舞踏作品『タントラ』◆
「舞踏」は、舞踊界への「反逆」ともいえる試みで話題を呼び、「剃髪、白塗り、裸体、60年代日本の突然変異ダンス、テクニックのない素人の情念の踊り」と思われるだけの存在だった時期も有り、正統的な舞踊界からは異端視・蔑視されていました。
が、澁澤龍彦、三島由紀夫などの作家は暗黒舞踏に魅了され、また、天児牛大が率いる山海塾のワールドツアーが大きな成功を収めるなど、舞踏は世界的な広がりにおいて注目を浴びました。
日本での評価は、逆輸入的な一面があり、舞踏は1986年に土方巽が没した後も発展を続けています。
が、それでも、ジャズダンサーやバレエダンサーの多くは、「剃髪、白塗り、裸体」には抵抗があり、「舞踏家」と言われる事を嫌う方が断然多いです。
彼らは「舞踊家」と呼ばれたいのです。
◆神ひろしの唯一の舞踏作品『タントラ』◆
そう言ったジャンル分けから言えば、僕、神ひろしは「舞踊家」であって、「舞踏家」ではありません。
が、僕自身は言葉の意義や区分けは意味をなさないと思っています。
「舞踊」も「舞踏」も、良い物は良い。
悪いものは悪い。
それだけです。
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