TOEIC 700点でアメリカ駐在しちゃった
未だ今ほどTOEICがポピュラーでなかった30年前、外国航路の貨物輸送の会社で全社でTOEICを実施。
一番高得点の人は国連英検1級保持者。TOEICの得点も満点近かった。
二番目の人は先輩で親も海運会社勤務で海外駐在勤務経験も。
そうして三番がなぜか私。二番目の先輩とは10点くらいしか差がなかったが、700点をちょっと上回るくらい。
同期もそれなりの大学を卒業しているが概ね400-600点。
この差が後で大きな意味を持ってくる。
上位2人はいずれも妻帯者。一方でこちらは入社5年目、独り者。
ここでアメリカの西海岸の駐在員事務所の増員を検討する事に。
それ迄いたのは船の荷役、積み降ろしを監督する役割の海技者、ポートキャプテン。
寄港数が増えており、かつ難しいお客様が多かったので、その管理をする営業担当を置いてみようという考えだ。
ある日、課長に「お前が海外行っても悲しむやつなんていないよな?」と打診を受け、期間も3ヶ月から1年位という何ともアバウトな長期出張が決まった。
もっとも海外と言えば卒業旅行で行ったサイパンのみ。
海外留学をした訳でも帰国子女でもない。
その頃の英語力と言えば、仕事の内容であれば何とか会話ができる位。
それでも初の海外勤務と張り切っていたところ、何と同期の大多数が3ヶ月の語学研修に派遣される事に。こちらは日々の仕事を持っての渡航だが、彼らは語学学校に通い、かつ休日には社費で旅行も認められていた。
「実戦で英語を学ぶ方が良いだろう。」とは人事のコメントだが何か損した気分。
シアトルに着いた時分は相手が言っていることを一回で聞き取るのは難しく、
(多分こんなこと言っているんだろうな?)と推測をして、再度尋ねるの繰り返し。
ショックだったのはKFCに行ってチキンを頼んだ時のこと。
黒人の子供の店員が何か聞いてくるが全くわからなかった。二度、三度と繰り返すがダメ。
イライラしながら彼が指さしたのは、黒く色づいたチキン。
(ああ、BBQって言ってたのか)
その時の軽蔑した様な彼の目を今でも忘れない。
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