60年代ロックに目覚め、音楽活動を始めたお話1

高校時代にリバプールサウンドに惹かれゼロからバンドを始めた50歳オヤジのロック魂


「時は1980年代、高校に進学したばかりのワタクシのストーリーである」

当時の音楽シーンは、ディスコサウンドのフィーバーに加え、レゲエやパンクなどを組み合わせたニューウェーブサウンドが主流で、さらには70年代から活況を呈してきたヘビメタヤプログレなどが加わり、商業音楽の絶頂期であった。若いものは借金してまでエレキギターを買い、自己流で有名ミュージシャンのコピーに明け暮れていた。

そんな時代に私もギターを購入した。はじめはツェッペリンのジョンボーナムやザ・フーのキースムーに憧れドラムの道を進もうと仙台市内の楽器屋に行きドラムセットを買おうとしたが、「はて?このドラムどうやって家まで運ぶの?」と考えた末、結局運びやすいエレキのレスポールモデルを買うことにしてしまった。更にベンチャーズの楽譜を買い、家に戻ったのだった。


エレキを買った、楽譜も買った、さて何をしようか??と考えたが、何をしたらいいかわからない。なにせコードも何もわからないのだ。そこであの昔ヒットを飛ばした「ザ・アニマルズ」の”朝日のあたる家”をコードから練習することにした。これが私ののロック出発点であった。



話は変わり、私にはロック友人というか同級生がいた。安部憲二という60年代ロックのチョーがつくほどのロックマニア出会った。60年代を中心にLP保有数は700枚を超え、さらには家にあるオープンリールの録音機(昔のレープレコーダ)まで持っており、彼の知識も当時の大貫や渋谷陽一などのDJ並の幅広い知識を誇っていた。その彼が私の家に遊びに来ると、全く知らない60年代のLPを大量に持ってくるのだ。例えばストーンズ、キンクス、フー、ハーマンズハーミッツ、デイブクラークファイブ、ヤードバーズなどまさに「リバプールサウンズ」の代表格ばかりだった。それを毎日のように家でかけるものだから、それらをお経のように聴かされていた。なので当時のヒット曲を聴く暇が全くなかったのだ。


ギターを持って6ヶ月後、まあまあ弾けるようになったところで高校の秋の学祭を迎えた。恥ずかしいながらも「人前に立ちたい!」という気持ちが優先したためか、なんでもいいから出ようと心に決めた。ギターデビューの曲はビートルズの「ノーウェアマン」だったと思う。まさかソロでそれだけを演奏するには少しもったいなさを感じたのか、ボブ・ディランの「ライクアローリングストーン」も一緒に演奏した。更に最後にはディープ・パープルのデビューアルバムから1曲演奏した。正直全く観客にウケなかったが、初めてのライブでこれだけ演奏できたのは貴重な経験となった。


高校2年になると、ビートルズにあやかり作曲作詞と録音にこり出した。テープレコーダーにマイクを2本接続してダビングを始めたのだ。さらにはビートルズのサイケ調のテープ逆回転も試みた。これが楽しくて作曲⇒作詞⇒模擬演奏⇒リフ作成⇒ソロ演奏⇒ダビング⇒装飾音⇒歌という感じで1つの12曲入りのアルバムを作るのに3日徹夜を敢行したこともあった。そして高校を卒業する頃には100曲のオリジナルを作るまでとなった。1人でなんでもやるという点では学校中で非常に評判となり、昼食の時間に放送部が勝手に私のデモテープを流すという事件まで起こった。


しかしさすがに「60年代音楽をやろう」という仲間には出会えず、友人たちはもっぱら「FMエアチェック派」ばかりで一緒に演奏する人間とはとうとう出会えなかった。仕方がなくチャゲアスカのコピーバンドのギタリストとか、女の子バンドのギター屋さん等を務めるしかなかった。

当時高校生だった自分は、仙台の片田舎にいて東京進出を夢見ていた。仙台の音楽シーンでは自分の夢は築けない、ならば東京に出ようという野心一杯で受験勉強に明け暮れた。親からは「お前うち金がないのよ。私立だけはやめな」と言われつつも下手な地方国大では自分の夢は実現できないと思い、結局都内の私立に入学してそこで音楽活動をやろうと決意したのだ。


「大学には行けたけれど・・・・・」

1983年春、私はめでたく都内の有名私立に合格し入学した。まずは軽音楽サークルを探すことにした。すぐに大学の先輩が声をかけてくれ、1つのサークルに入部した。早速私の「60年代音楽シーンを実現したい」と先輩方に言うと、先輩たちは皆一斉に笑いだしたのだ。

「お前、いくつ?今何年なの?80年代だよ。」

「今はみんなフュージョンしかやらないさ。女の子にもてないだろ?」

「ヴァンへイレンみたいなライトハンドできない奴はギタリストじゃねーよ。」

確かに時代は違った。80年代は商業ロックの全盛期。音以上に見せる部分が強調された。まさにマイケルジャクソンのスリラーが大ヒットした時代なのだ。私がやっていた60年代なんてとうの昔の感覚でしかなかったようだ。そこで先輩たちに聞いた「先輩たちはなんで音楽をやろうと思ったのですか?」

先輩たちは皆異口同音に答えた。「女にもてたいからだよ。」

ちょうどフジTVの「オールナイトフジ」が始まった年だった。時代は女子大生がまるで時代の寵児のようにもてはやされ高嶺の花のような扱いを受けていたのだ。このような時代に時代錯誤の60年代ロックなんて馬鹿がやること、そんな点からもこのサークルとは辞めるまで平行線をたどった。のちの先輩方のいじめにあい、耐えられずギターを1音も鳴らすことなく、3ヶ月でサークルを退部した。




**続きは大学後半に横浜で開花した、という物語を第二部とします。



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