危険がいっぱい
昨年、日米地位協定で日本の予算で賄われている約3キロ平方の池子住宅及び海軍補助施設の一部が共同利用地として開放されることとなった。
米軍住宅の外、テニスコート、野球場、陸上競技場などのスポーツ施設、基地関係の施設がある。
ここは元々、日本軍の弾薬庫だった物が敗戦により連合軍に接収され、サンフランシスコ条約締結により米軍に移されたもの。米軍も引続き弾薬庫として利用していた。
1947年には池子の弾薬庫が大爆発を起こし100ヘクタールの山林が消失、1,000名が避難。
返還運動はずっと行われており、これまでも第一運動公園、久木中小共同運動場等が共同利用に供されてきている。
今回、共同利用となるのは40ヘクタール。
久木側の自然公園と神武寺側のスポーツ施設。
神武寺側にはスポーツ施設の側にゲートがあり、物々しい警備が行われており、金網のフェンスで囲まれていて、その内側は未だに「アメリカ」で入ることは出来ない。
星条旗と日の丸が一緒に掲げられているが、心なしか日の丸の元気が無い。
自然公園とスポーツ施設のある2つの地域は久木トンネルで結ばれている。
ちなみにトンネル名も英語で表記されている。
そのトンネルの上を迂回する様に「散策路」が設定されている。
その入口に警告板。英語と日本語両方。
「マムシに注意!」
(マムシは英語でBamperって言うんだ)
マムシとは余り散策には似つかわしく無い様な。。。
更に自然公園へと向かう道路脇に久木中小共同運動場。
野球場とテニスコートが並んでおり部活動の学生たちが練習をしていた。
ここにも金網のフェンスの上に警告板。
(何々?)
「ここは弾薬庫でした。見慣れないものがあったら連絡してください。」
写真が付いているが、それが何であるのかよく分からない。
弾丸ではないよう。
火薬の袋だろうか?
何れにしてもも運動場、自然公園には似つかわしく無い。
その他、自然公園の森林の中に貯水池。この警告板は英語だけ。
小さな子供が訳分からずに落っこちる事は無いだろうか?
コンクリート製で重い蓋がされてはいるが。
それにしても複雑な歴史を感じさせられる場。
木々に囲まれたその外観とは別で、色々危険も一杯。
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