ダメダメな私が6度の挫折の後、憧れだった国内王大手エアラインと仕事をするまで(私の半生)

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前話: ダメダメな私が6度の挫折の後、憧れだった国内大手エアラインと仕事をするまで(私の半生)その2 自転車での日本縦断旅

鳥人間コンテストでは常連校。同じキャンパスに通えるだけで

(借り物の夢を自分の夢とした自分としては)十分だった。


真面目にやっていても単位を落とす日々

気づくと始まっていた大学生活。その主戦場は父親の得意分野。

エディプスコンプレックス最中の私には苦痛でしょうがなかった。

それでもクラスのマドンナを射止め、高校生活にはなかった華やかさを

自分なりにアレンジして大学生活を謳歌しようと思っていた。

しかし静電体質なのか電圧計・電流計といった至極単純な仕組みの計測危機も

私の前ではまともに動いてくれない。何時間かかっても終わらなかった実験が

私がトイレに行っている間に終わってしまったこともあった。

実験の目的とする主旨とは関係のないところで悩まされ、

何を目的とした実験なのか、出た数値から何を求めればいいのか

よく分からない。そんな中書かないとならないレポート。

時間ばかりかかって要領を得ない。サークルなんかに入っている人たちは

同学科の先輩から過去レポ、過去問を仕入れ、そつなくこなす。

彼らに比べれば、たどり着く結論は浅く、

その実験の目的としたところまでもたどり着かない。

実験と隔週である製図実習にも多大なる時間を費やし、

人との付き合いどころではない。彼女もそっちのけ。

各々が各々に孤独な戦いをしているものだと思っていた。


そんな中出会ったのは学籍番号が2つ前の仙台出身の1浪生。

1才とは言えすごく上の先輩かのように思える年頃ではあったが

明るく、社交的な人で聞くまでは年上だとは思わなかった。

見渡せばチェックのネルシャツを制服とし、ケミカルジーンズで

眼鏡にボサボサ頭が常のクラスで、いつもおしゃれで

個性的なブランドの服を着て来ている人だった。

聞けばプログラミングが学べるかと思い入学をしてきた、と。


いろいろな手段で調べものをが出来る今とは違い、

色々な勘違い、思い込みが修正されることのない時代。

それでも入ってしまった現実との折り合いをつけ、

なんとかしていく人が多かった。彼もその一人だと思った。


同じ実験班の彼。隔週である製図も同じ。苦労しながら

互いに相談しながら進めた。テストで苦労したのも同じ。

気づけば学校にいる間、その多くを彼と過ごした。


家に帰ってもテスト前なんかは教科書の例題を解きあって

一人暮らしの彼のもとへ問題を解く途中の図や式をFAXで送りあったりした。


遅くまでテスト勉強をした大学2年前期テストの最終日。


学校に行っても彼は居なかった。

1学年1学科でも300名弱の学生がいることから

複数の教室で同じテストを行っている。だから

他の教室で受けているものと思っていた。


テストの手応えは教科によってまちまち。

それでもテスト最終日を終えて晴れやかだった。


休みに入って何日かすると彼の親から連絡が。

彼と連絡がとれないとのこと。携帯電話が普及しはじめたばかりで

彼との連絡は彼の独り暮らし先の固定電話しか知らない。

何度かかけたが確かにつながらない。仕方なく彼の下宿先へ。


電車を乗り継ぎ1時間ちょっと。彼の下宿先につくと先客が。

同じクラスで顔は知っているが話したことのない人たち。中には

クラスに何人かしかいない女子で彼女の友達も来ていた。

その子が肩を震わせて泣いている。何が起きているか分からない。


聞けば中で人が死んでいる?とのこと。

指差す先は彼の部屋。自分は彼が死んでいるとは思えず誰が?と聞く始末。



呆然自失



何も考えられないまま休みは過ぎ新たに始まった後期。

いつものように始まる隔週の実験と製図。

監督役の大学院生が出席を取る。呼ばれる彼の名前。


「休みです」(。。。休みじゃないけど。。。)


ずる休みしている訳ではないので耐えられなくなって言ってみた。


「死にました・・・もう来ません」


えっ!?と驚いた院生は一瞬だめらったが、


あっ・・・そぉ・・・ぅ


と彼の名前の上に真横に鉛筆を走らせた。

そうして鉛筆一本で彼の名前は消された。


生前、彼は自分は望まない道に来てしまったかもしれない、と

言っていた。

「おまえ(私)もそうかもしれないけど

    おまえなら変えていくだけのエネルギーもあるから大丈夫」

とも言ってくれていた。


今となってはその言葉を信じて道を変えるしかないと考えた

3度目の挫折だった。


その挫折は後に長い長い尾をひいた。


それでも半年間“だましだまし”同じ大学に通った。

騙していたのは親と自分。

普通に学校に行くふりをして家を出るも学校に向かう電車に乗ると

心臓がばくばくし始める。足も震え始め冷や汗をかく。

何度もトイレに駆け込んで、いつまで経っても学校にたどり着かない。

学校の最寄り駅からは彼が独り暮らしをしていたアパートが見える。

見ないように背を向けて乗った。彼と歩いた道は怖くて歩けなくなっていた。


彼女ともうまくいかなくなっていた。


道すがらのサンドイッチ屋さんで出るパンの耳を一袋50円で買っては

公園の鳩に餌をあげたり、池の鯉にあげたりして過ごした。

その鳩や鯉が可愛くて絵を描いたりした。そうして出会った

工業デザイン意匠系をやっている知人に見せると誉めてくれた。

それでも夏のアスファルトに水を撒いたように癒され潤うことはなかった。

大学2年時の後半、半年間をそうして無に過ごした。


窮状を家族に話しても、この半年もまともに学校に行っていると思っている為

「せっかく2年行ったんだから。。。」と取り合ってくれない。

耐えきれなくなって1年間休学することとした。

何もせずあっという間にその期間が過ぎ、機械的に復学となった。


皆はもう4年。自分は2年からやり直し。

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