忘れられない、夕焼けの空

忘れられない、夕焼けの空

 子供たちは三人とも独立して、家を離れた。親離れをした子供たちと違って、子離れができない自分がいる。

 二十歳のころ、はじめて一人暮らしが始まり私は毎日の生活が新鮮でワクワクしていた。その頃、両親がさびしい思いをしていただろうことに思いが至らなかった。自分のことだけで精一杯だったからだ。

 それでいいのだ。若い頃は、未来のみを見つめて突っ走ればいい。過去をふり返るヒマなどないからだ。私も、過去をふり返っていられない。毎日、授業がある。塾生の子が望むから、英語だけでなく数学も教えられるようにした。

 英語も数学も勉強し始めたら、終わりはない。キリがない。死ぬまで勉強し続けるつもりだ。教材を作り続けるつもりだ。指導方法を研究し続けるつもりだ。塾を始めた頃は、コンピューターで成績処理をするなんて思わなかった。ファイルやメールを使って家庭学習の補助ができるとは思わなかった。

 まさか、雲の上の受験生と思っていた「理Ⅲ」や「京大医学部」受験生を指導するハメになるとは思わなかった。

 人間は理屈だけではないので、経験しないと分からないことが多い。そして、1分後に何が起こるかさえ分からない。はんなりと過去をふり返っていられない。

 バブルの崩壊とか、少子化とか、自分ではどうしようもない不可抗力の連続だから、生き残るのも大変だ。子供たちを、いつまで守っていてやれるのだろう。私の亡き父も、私の無事な生活を願っていてくれた。

 私も父を見習いたい。

 バツイチになって、子供たちを悲しませた償いではないのだけれど、成人した子供たちに毎月少しずつ仕送りをしている。病気で倒れても、倒産の危機に陥っても、借金でクビが回らなくなっても、何がなんでも仕送りは続けてきた。

 あと20年もしたら、私はこの世にいないだろう。孫たちが成人して、私と同じように生きているはずだ。そう考えたとき、坂本竜馬も、織田信長も、それほど昔の人だと思えない。みんな自分の人生を精一杯生きて、去っていったのだろう。

 ケプラーの法則を勉強すると、伝記などを読まなくてもケプラーという人が天体を観測して、軌道の計算をしていたことがよく分かる。

 京大受験生を中心に、旧帝受験生に囲まれていると「この子たちの中から、未来のケプラーが生まれるかもしれないなぁ」と思うことが多い。非常にすぐれた資質を持つ子が多い。

 これは、願っても実現が難しいめぐまれた環境だと思う。勉強を嫌う子が多いが、英検1級や通訳ガイドの国家試験に合格した頃から生徒の質が異なってきた。京大を7回受けて、成績開示をしたら、さらに集まってもらえる生徒の質が上がった。

 これだけで、勉強してきた甲斐があると感じる。いくら有名タレントを使い、マスメディアを使った宣伝をくりかえしても、こんなに優秀な生徒が集まることはないと思う。イメージや設備でアピールできる生徒は、やはり二番手以下の子たちにすぎない。

 トップの子たちは、先生の中身をみている。

 私は、塾業界のケプラーになりたいと思う。もう子供たちは成人した。バツイチで、同居する人はいない。私は豪邸に住みたいと思わない。テントでは不自由だけれど、別にアパートの一室でも苦にならない。

 自分が生活でき、子供たちがダメにならない程度に仕送りができたら幸福だ。望むことは、自由に勉強ができる環境と、気持ちよく受験指導ができる環境だ。つまり、モノではなくて、人だ。

 都知事選に鳥越さんが出馬するそうだ。参院選の結果に危機感を覚えたそうだ。どうして、左翼の人は視野が極端に狭いのだろうか。不思議に思う。「国民は、そのようなことを望んでいない」と、よく発言される。

 しかし、民主主義国家では選挙で民意が示される。今回の選挙の結果は、「国民は左翼政権など望んでいない」「鳩山、菅もと首相の時代に戻りたくない」という国民の意思表示なのだ。

 それなのに、左翼の人は「国民は望んでいない」と、よく言えるものだ。選挙結果など無視して、「自分の主張が国民が望んでいることだ」と断定する。こういう政権は、北朝鮮や中国のような独裁国家にみられるものだ。社会主義の国は、よく独善に陥る。

 わが三重県は、その左翼教師の団体が牛耳っている日本一の「日教組王国」だ。100%の教員が左翼思想に洗脳されていて、集団主義教育が盛んだ。「班」を組ませて、教えあえ。クラブは強制で例外なし。テストの順位は、受験生であっても絶対に教えない。

 こんなヒドイ指導は、日本中さがしても他にないと思う。人権無視も甚だしい。子供を左翼思想に染められる保護者はたまったものではない。

 もちろん、生徒たちもバカではないので教師の言うことなど「あの先生、アタマがおかしい」と相手にしない子が多い。塾では本音を言うけれど、学校では演技をしているそうだ。調査書対策と言っている。

 人間は、どうしてこうなんだろう。人は、みんな違う顔をしている。どんなに似ていてもどこかが違う。40億人の人間がいたら、40億とおりの顔があり、考え方がある。みんな違うことに、何の不都合があるのだろう。

 社会主義の人たちは、「善意の暴力」と言える。みんな同じ鋳型に押し込もうとすると、はみ出す子たちがフラストレーションが溜まってイジメも起きるものだ。どうして、バラバラでは駄目なのだろう。

 たかが80年くらいしか生きられないのに、何で他人を押さえつけてでも自分の思い通りにさせようと強制するのだろう。日本は民主主義国家だと信じたいが、学校では教師が独裁者のようにふるまっている。

 学校が嫌いだ。教師で尊敬する人に会ったことがない。アメリカの中学校で1年間指導させてもらったが、こんな弾圧は見られなかった。もっと自由だった。クラブなどなかったし、班などあるわけがなかった。

 江戸時代のような「五人組」や、崩壊したソ連のような強制労働(クラブ)は廃止すべき。廃止できないなら、せめて自由にしてやって欲しい。生徒の希望を聞いたことがあるのだろうか。生徒たちを、独裁者から解放してやってほしい。

 全員を救おうとするから強制し、集団主義になる。全員に二次方程式を理解させることなど、できるわけがない。生徒全員に100mを13秒で走るように求めるようなものだ。必ず、鈍足、オンチ、絵心なしの子はいるものだ。

 それで、いいではないか。

 学校の先生は、アマチュアだ。音楽、絵、スポーツ、料理、勉強、どれかで飯を食っていけ王、つまりプロになろうと考えている子たちに、アマチュアの先生では困るのだ。学校が終わったら、できるだけ早く帰してやって欲しい。

高木教育センター

 

 

著者のキョウダイ セブンさんにメッセージを送る

メッセージを送る

著者の方だけが読めます

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。