「堕落論」と「武士道」

つい最近、本屋で手にした2冊の本を購入した。

1冊目が坂口安吾の「堕落論」NHKのテキスト。放送を聞いているわけではないのだが、心の中の古い傷に触れるような文字を目にした時、すぐ手に取って開いてみた。

私がこの本に出会ったのが、12歳を過ぎたころ、中学校の図書館である。父を亡くし、田舎から上京してきた、母と4人兄弟の末っ子の私。上京してすぐに一家離散。たった一人での生活を余儀なくされ、戦後まさに12年の混沌とした世の中をさまよっていた。12歳の少女が6畳一間のアパートで一人で暮らし、学校に通い、社会のどさくさにまみれて生きていた。毎日図書館に通い、手あたり次第、読書に励んでいた無口な中学生が、この本を手にして、暗い孤独な魂を揺さぶられるほど、刺激を受けていた。「堕ちよ、生きよ」と寝ても覚めても、耳元で繰り返す。行き場所を亡くした自分を己の中で、生きていけ、と叫んでいた。悲しみや、寂しさを押し殺し、誰とも親しく話などはしない、ちょっと変わった女の子であった。話せば長くなるが、機会あるごとにすこしづつ当時の心の扉を開いてみたいと思う。当時は芥川龍之介や太宰治は勿論、サルトルやボーボワールの世界にものめりこんでいくのである。その元となったのが、この「堕落論」であった。

 

そして、もう一冊。風間健氏の「武士道に学ぶ生き方」である。これはこの7月に出版されたばかりの本であるが、以前、彼の説く、武士道について話を聞いたことがあった。私は自分の生き方が、20歳を過ぎたころから、すこしづつ変わってきたことに気付いていた。それはあの60年代の安保闘争を境に、学生運動からも身を引き、ひたすら一生懸命、生きること、人間の幸せとは何かと、そのためにはどのように生きて行くべきか、などと難しいことばかりを自問自答していた。そんな時、15歳の決意を実行するのである。それは父を亡くした後の、ばらばらの家族を幸せにしなくてはならないという大きな使命感から、この社会で生き抜くにはトップにたたなければ、いつまでも生活は苦しく、貧しさから逃れることはできないのではないのか。心の中で、自分は社長になり、事業を起こし、ゆとりのある、関わる人たちの幸せを心して生きて行こうと決めていた。それが、この本のブレない、折れない、曲がらない、という指標である。波に流され、大きな山を越え、谷間をさまよい、そして今、さざ波いや潮騒の聞こえる、そんな戦後の人生であったと思えるのだ。

 

ああ、「されど我らが日々」と懐かしく振り返ってみる。

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