奥さんと、娘はどちらが大切か?
奥さんと、娘はどちらが大切か?
もう20年も前のことだから、書いても時効だろうと思う。その時、私は確かに奥さんを見捨てて、娘をとった。話はこうだ。当時、私は塾と家を新築して、銀行に毎月50万円以上を返済していた。その融資のため、両親が連帯保証人になっていた。
娘が三人いて、私がコケたら、自分だけでなく、両親も、幼い娘たちも路頭に迷うという危険な綱渡りをしている最中だった。「絶対に失敗できない」。それで、連日頭をひねって、生き残りの戦略を立てていた。
バブルが弾け、少子化が進み、大手が進出してきていたので、明確な戦略が求められた。そこで、私は考えた。
「中学生中心の塾で競争しても仕方ない。高校生なら競争相手がいない」
そこから、結果的にいうと10年間の悪戦苦闘が始まるのだが、家族旅行にも問題集を持ち歩いていたら、奥さんが怒った。月謝を踏み倒したり、退塾率の高い生徒を相手にしていたら経営が安定しないので、上位層の指導に転換していったら、
「あなたは、頭の悪い生徒をバカにしている」
と批判してきた。
頭にきた奥さんは、キリスト教会の人に相談したり、娘たちに私の悪口を吹き込み始めていた。外では、ライバル塾の誹謗中傷。家では、奥さんの攻撃で、ほとほとまいっていた。
キリスト教会の人から
「奥さんの言葉どおり、落ちこぼれ塾にされたら」
と、言われて教会に行くことをやめた。そして、奥さんの相手をしないと決意した。塾がつぶれたら、本当に夜逃げか首つりだったのだ。奥さんが家を出た時、私は
「奥さんより、娘たちの養育が優先する」
と判断した。
でも、本当はそれでけじゃなかった。私は大学入試の5日前に入院さわぎを起こした。全身痙攣で、診察台の上で手足を看護婦さんに押さえつけられた状態だったけれど、隣で母が医者に叱られていたのを覚えている。
「お母さん、勉強しろと言ったでしょう。これ、ノイローゼの一種ですよ。この時期に なると、こんなんばっかくる」
英検1級をとるため、アメリカに渡る時は
「帰国後、無職の貯金ゼロになる・・・」
と、悲壮な決意だった。
そんな思いで、親の協力で開業した塾だった。自分と、娘たちと、親の生活がかかっている塾だった。
「奥さんの言うとおり、落ちこぼれ相手の塾にしたら家庭円満になる」
という教会の人の言葉は信じられなかった。最終的には、義理の母から
「娘をアメリカに行かせてやってほしい」
と頼まれたが、アメリカの男友達の家に遊びに行きたいという妻を送り出す夫がいるのだろうか。
それから10年ほど、私はずっと悪役だった。娘たちは、母親に吹き込まれた私の悪口を信じているようだった。近所の人たちは、偏差値や学力順位を追放するという「ゆとり教育」の風潮の中でも、高校ランキングを発表する私の塾を「ケシカラン」と思っているようだった。
しかし、私はそんなことを気にする余裕もなく高校生のための塾に転換すべく、センター試験を10年連続で受け、京大を7回受け、Youtube やブログで結果を公開していった。
娘たちが大学に通っている間は、貯金は全て使い果たし、政策金融公庫でお金を借り、最終的にはカードの審査も通らず、家財道具も業者にダラクタだと駄目だしを出される始末で、夜逃げを覚悟した夜もあった。
ところが、四面楚歌状態も少しずつ状況が変わっていった。土地のローンを完済し、娘たちが大学を卒業し、再婚した元奥さんがまた離婚し、塾生が京大医、阪大医、名大医に合格していったのだ。
娘たちが、大人になり状況が自分で理解できるようになってきた。地元の賢い子が集まり、高校生の塾へと変貌がうまくいった。通信生も北海道から鹿児島まで増えた。
長女が
「お父さん、もう再婚してもいいよ」
と言ってくれた時は、本当に嬉しかった。もう、女性は懲り懲りだけどね。
蓮舫さんが
「2番じゃダメなんですか?」
と言った時、日本中で彼女の学歴を調べたことが推察される。そして、青山幼稚園から中学、高校、大学まで青山だったことを知る。
一度も、本気で受験に向き合ったことがない。それで、納得したはずだ。人生で一度も「一番」をめざして頑張ったことがないから、あんな発言ができるのだ。一番でなければ生き残れない切ない商店や零細企業の気持ちなど分かるはずがない。
私は、キリスト教会の人が
「奥さんの言うとおり、落ちこぼれのための塾にしたら」
と言った時に、
「この人はダメだ」
と思った。切ない受験生の気持ちなど分かっていない。一度も、頑張ったことがない人生を送ってきている。
こんなに本音を書き続けても、私の塾の高校生クラスは満席状態だ。通信生も右肩あがり。そして、その塾生の方たちの学力は中学3年生は四日市高校、桑名高校、川越高校の受験生が多い。つまり、学力が高い。
そういう志の高い生徒には支持されるようだ。逆に、学力が低い子には嫌われる。「厳しい」「順位をつける」「賢い子優遇」などの批判が多い。
すべての人に好かれるのは不可能なので、私はこれでいいと思っている。不良が集まってきたバブルの頃は、備品の盗難や破壊行為が多く、毎日がトラブルの連続だったけれど、今は平和だ。
奥さんが去って、我が家は平和になった。娘たちには申し訳ないが、事実だ。
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