カースト制度とその内側

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インドの日記でも書こうかと思って始めた文章だが、色々なぶっ飛んだ出来事がありすぎて切りがないので、だから今回はインドに滞在すると必ず直面するカースト制度について感じた事を書きたいなと思う。少し長いですがお付き合い頂ければ幸いです。

カーストという言葉を耳にした事がある人は多いと思う。僕も「その人の身分や階級みたいなものでしょ?」くらに思っていた。僕もちょっとの間イギリスに住んだ事があり、そこにも階級社会があって似たようなものだと思っていた。イギリスにはざっと労働者階級、中流階級、上流階級と分かれていて要するに職種や収入、住むエリア、言葉のイントネーションがそれぞれの階級で別れており、異なる階級では交流する事が少なく、労働階級の人間が上流階級の職種まで昇りつめるのは非常に困難な道なんだろう。という位の認識であった。



インドのカーストという階級制度の歴史は3千年以上の続いており、宗教とも非常に密接になっている事からこの階級制度はとてつもなく根深い。上位のカーストから、バラモンと呼ばれる宗教的な儀式を司る神官、次に王族、一般的な職や商いをする商人や平民、そしてスードラと呼ばれる人々。スードラは所謂人々の嫌がる汚れたり、汚い仕事をする労働者階級のようなカーストである。基本的に階級事に仕事の種類がはっきりと別れており、親の仕事を世襲する。神官の子は神官に。商人の子は商人に。靴磨きの子は靴磨きに。

そしてそのカーストにすら属さないアウトカーストと呼ばれる人達もいる。日本語では不可触民。カーストに属す人間からするとアウトカーストは人間以下の認識であり、何をされても咎められない。それこそ突然殴られても、踏みつけられても何も文句を言えない。極端な例では、上のカーストに属す人間が車で彼らを轢き殺しても何事もなかったかのように通り過ぎてしまう。

僕らの理解を超えた、しかし彼らにとってはいたって常識的な感覚がインドにはあるのだ。実際インドでしばらく滞在しているとそういうカーストの下の人間への酷い扱いに胸が痛む瞬間にぶつかる事がある。


ある早朝、ヨガの体験レッスンに参加した後、ガンジス河沿いでチャイを飲みながらのんびりしていると小さな裸足の女の子が駆け寄ってきた。物乞いの子供達が寄ってくるのはよくある事だが、その子は特に物やお金を乞う訳でもなく僕のデジカメをみて「フォト、フォト」と写真を撮ってくれとねだってくる。しょーがねぇな〜、と一枚パシャリと撮ってあげ、彼女に見せてあげると満足そうな顔をし僕の横にちょこんと座った。

彼女の自身の事を指をさしピアと言い、名前を覚えて欲しいようだった。彼女は英語が喋れないので僕はしばらく身振り手振りで会話をしながら彼女としばしガンジス河のほとりで遊んでいた。しばらくして腹が減ったので彼女と別れて飯でも食いに行こうかと思いバイバイと言って歩き去ろうとしても彼女はついてくる。小さな声でキャンディー、キャンディーと呟きながら。彼女も実際は物乞いをしに僕に寄ってきてたんだろう。



基本的には僕は物乞いには一切何もあげないのだが、こうやって相手の事を知ってしまったり、俺はとてつもなく腹が減っているんだと猛烈な面白いパフォーマンスをしてくる物乞いで笑えたり、どんな嘘でも面白かったりしたら、何かしらあげるようにしている。特に理由はないけど、僕がインドで決めたルールだ。話しは逸れたが、だから僕は彼女にも何か買ってあげようと思った。しかしキャンディーを売っているような店もなく面倒になったので適当に見つけた飯屋に入った。

店に入るとインド人の親父はピアの姿を見るとあからさまに嫌な顔をし追い出そうとする。ヒンドゥー語で何を言っているか分からないが僕に何か文句を垂れているようだった。何でもお前が居るんだ?とでも彼女に言っていたのかもしれない。すると僕にまで明らかに無愛想になり、注文は聞きに来ないし、無理やり頼んだ料理は乱暴に出すし、何か常にブツブツ呟き睨んでくる。しまいには、彼女の金は誰が払うんだ?としつこく聞いてくるので、僕もだんだんそれに腹が立って、俺が払うに決まってるだろうと憤慨してしまった。

カースト制度については何となく分かっていたが、こんな小さな子供にまでそんな扱いをするなんて正直本当に胸クソが悪かった。旅行者であり、日本人である僕が居なかったら店に入る事すら許されなかっただろう。しかし僕も彼らにとって外国人というカーストに属しているので店の親父も強気に出れなかったのかもしれない。

でも未だに僕がとった行動が正しいかどうかは分からない。もしかしたらインドの常識の中では踏み越えていけない線を越えてしまっていたのかもしれない。僕は僕の価値観で動くしかできなかった。



しかしカーストにも良い側面があるとも言われる。それは全体で見ると社会のバランスが取れているとの事らしい。人それぞれにはっきりと社会的役割が生まれたその瞬間から決められている。神官の子は神官。商人の子は商人。不可触民の子は不可触民と。だから乞食は乞食として生きていけるし、上のカーストの人間も自分は施しをする側の人間であると理解しているので、そこである種助け合いの関係も出来上がっていると言う。

インドに行くといたる所に乞食やストリートチルドレンが存在する。さらに言うと、生まれた瞬間からこの世での自分の役割や仕事が決まっているので、僕らの日本人のように将来何になるかを悩む事はないし、ましてや将来を不安に思い、心配して自殺するなんてありえない。毎日を、瞬間を生きているのだ。

僕は実際に、何人かのインド人に「夢は何?」「将来何なりたいの?」と聞いてみたら面白い程みんな将来の事を考えていない人が多かった。夢と聞いても殆どの人がピンとさえきてないのかもしれない。



ボート漕ぎの20歳の青年

「分からねーし。別にねー。ボート漕いでるんじゃね?」


宿屋のオッサン

「別に。ファミリーが居ればそれでいいだろ。Today is Everything !」



行きつけになったレストランの20歳そこそこのウェイターの青年

「とりあえず俺は童貞だからセックスがしたいんだ!日本人の女連れてこい!なっ。約束だぞっ!後はどうでもいい。ガンジス河で死ねれば。」


勝手に話に割り込んで来た隣に居た知らないおっさん

「そんな事どうでもいいけど、これ俺だぜ!俺!俺って有名?」

みんなの読んで良かった!