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コンピューターの未来

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著者:
超飯塚 俊英
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[コンピューターの未来]


コンピューターに関するまじめな話。

我が家はは7歳の時に父を交通事故で亡くして以来母子家庭だ。

当時から今でも母子家庭での育児というものは制度的にも、

社会環境的にもなかなか難しいものだと思う。

幸いにも母は名の知れた会社に就職ができ、

残業等で帰りは遅かったり、

賃金的にはそう多くは無かったと思えるが、

普通に小中学校に通うことはできる程度には安定して生活していた。


子供の頃から非常に個性的で思いついたものを作る趣味が多かったように思えるが、

漫画を書くことや楽器、工作、模型、アナログなゲーム、特に新しい遊びを考案することが好きで、

複数の遊びを組み合わせて遊んでいたような気がする。

男女ともに友達がいて、男性的な遊びと女性的な遊びをミックスしていた記憶がある。

おままごとから怪獣がでてきて家庭が崩壊するというシナリオを覚えている。


時代背景としては、周りではファミコンが流行し始め、スーパーマリオブラザーズなんていうものが人気になっていた。

我が家にファミコンが来たのはしばらく後になった。

これは私に弟がおり複数の試験で100点が取れたらファミコンを買うという約束で、

それまで高くても50点、60点という成績しか取れなかった弟が一発で100点を取って帰ってきたことによります。

どういうわけか、ディズニーランドに行き、そこでファミコンを買って帰ってきました。

成績を物でつるというやり方は非常にまずいと思いますが、

案の定それ以来弟はファミコンに没頭して成績は元に戻りました。


私は物を作ることと動物が非常に好きでしたが、中学生にはいってから入部した部活に置いてあったコンピューター。

いくつかは先輩である人の私物であり、1つは学校のもののようでした。

MSX,MSX2,X1 TURBO,MZ2200という型番のいくつかの機器があり、

空いている時には使える環境というものがそこにあり、最初にどう触ったのかは記憶にないのですが、

触り初めてすぐに自作のゲームを作り始めたように思います。

その後は、部長を選挙で決めるという部活のルールにより、これはなかなかに画期的なルールで参考になると今では思いますが、

結果的に部長に選ばれたことから、自分でもSONYのMSX2というテレビにつなぐパソコンを初めて買ってもらい。学校や部活、塾の後で深夜までゲームを作るのが日課になりました。

ほとんど毎日睡眠が3時間になりこれは成人後まで続く生活リズムになりました。

もっとも多くの時間は作る作業よりもデバッグという動作検証と修正の時間にあてられました。

考えてみると、クラスや周りの人との趣味とはだいぶかけ離れていて、まったく独自の道を進んでいたように思えます。

中学卒業後はプログラマとして就職するという考えで、進学は考えていませんでした。


ゲームを作るようになったことで、ゲームを遊ぶときに、どうすればゲームがおもしろくなるか、という視点を持つようになり、

ゲームで遊ぶという遊びの中に学びの意識を持つようになったと思います。

私は、存在する既存のゲームを作りたいというよりは、自分で考えたアイデアを実現したいという考えでゲームを作っていたように思いますが、

これはおそらく、漫画を書く、絵を書く、物語を作るといった幼少からの趣味全般的に、オリジナルの物を作ろう、

という意識が潜在的にあり、今ではそれは明確に持っている意志であり、現在はiPhoneやiPadに向けたアプリケーションの開発を仕事にもし、趣味としても継続していくつかをApple社のAppStoreより配信をしています。