元気かな、会いたいな、と思っています ③キンセンカ

キンセンカ

科・属名 キク科・キンセンカ属

開花期 12~6月

花の色 黄・オレンジ

輝くような黄橙色の花は豪華な八重咲と一重がある。

花言葉 悲嘆・離別の悲しみ・さびしさに耐える

 

 

ふと、思い出す人がいる。

早春に華やかな色が目に入った。八重咲のキンセンカだ。

まだ外気温は手がかじかむほど寒いのに、その中で懸命に笑っているようにみえる。

そうだ、あの頃のあの子と同じだ。

私は彼女をキンセンカさんと呼ぶことにする。

 

キンセンカさんは夕方の5時半になるとあらわれた。

「もー、首と肩が痛くって~。90分でお願いしま~す」

あー、疲れた疲れた、と言いながらパジャマに着替え、施術ベッドに横になった。

茶色いメッシュを入れたショートカットに、キリッとした眉がハキハキとした印象を与える。これはかなりのヘビースモーカーだな、と思わせる歯茎の色。年のころは30代前半といったところか。表情をクルクル変えてよく喋り、私が一人で夕方のニュースを見ている時間と打って変わって、キンセンカさんが現れると店内が明るくなるように感じた。

あれ~?前回よくほぐれたのに、もう凝った?と尋ねる。

前回、とは2日前のことだ。ちなみに前々回は4日前だ。週に3日来ている。

「もう痛いんだよね~、まいった、まいった」

と笑うキンセンカさんの肩に触ると、本当にガチガチだった。

キンセンカさんは私が勤める整体院に来る前から、あちこちの整体・マッサージ・カイロプラクティックを転々とし、いわば受けのプロだった。

うつ伏せになり、首と肩の交差する場所を指定する。

「ここばっかりやってくれない?強めで」

ここの整体院に通ってくるお客さんは、こちらの都合などさておき、リクエストベースでやってくる人が多かった。学校で習った手順通りにやろうとすると、そうじゃなくって、とあれこれ指導が入り、宿題まで持たされる始末だ。本当によく鍛えてくれた。お陰で私は一人で開業しても何も怖くなかった。マニュアル通り、ではなく、考える、ということができるようになったからだ。キンセンカさんも私をしごいてくれた人のひとりだった。うつ伏せの態勢の首と肩が交わるところに足の方向に向かって圧をかける、というのは施術者にとって熟練を要する。それも30秒や1分ではない。60分近くそれに当ててくれ、というリクエストだ。通常であれば親指を当てて圧をかけるのだが、強めで、というリクエストもある。私は肘を使い体重圧と浸透圧を駆使することにした。キンセンカさんのしごきのお陰で、整体師に一番大事な、加減、を覚えたといっても過言ではない。

キンセンカさんはそんな加圧を受けながらも、よくしゃべった。仕事場の話から姉妹の話、好きな漫画や(のちに私に山の様に持ってきてくれるのだが)、両親のこと。

このときキンセンカさんは、父親を亡くして半年が経とうとしていた。

とても仲の良かった父親が他界し、故人の各種手続きも自分の体調管理もできない、

そりの合わない母親と2人暮らしになった。

父親の死因は肺炎だったため、掛けていた医療保険が下りる・下りないと揉めてもいた。母親を看取った私も今ならよくわかる、とてもつらい時期だ。

父親を亡くしたさびしさを耐えながら、現実と戦っている、そんなそぶりを見せないように勤めて明るく振舞っていた。しかしどんなに表面上明るく見せても、肩が凝らないはずがない。時には職場の制服のままお昼ご飯を持って、私にはフライドポテトを差し入れに買ってきて、私と一緒に待合室のソファーでとることもあった。そして仕事が終わると私の勤める整体院にやってきて、90分お願いしま~す、と言う。私も院長もキンセンカさんのお財布事情が心配になるくらいだったが、本人はお構いなしだった。

時間を潰したかったのだ。

どうしても、母親が一人で待つ家に帰りたくなかったのだ。

 

黒目がちな瞳は笑い話をしている時も、いつも涙で潤んでいた。

キンセンカさんが言葉にしない悲しみを、ただ受け止めるだけの日々は1年半にも及んだ。

ほぐしてもほぐしても固まっていくキンセンカさんの身体に、整体師として敗北感を感じながら、私は人知れず鶴岡八幡宮の神様にお参りに行ったりした。

どうか、キンセンカさんにお父さんを亡くして悲しむことと、心から笑える日を、戻してあげてください、と。

整体師が神頼みするようじゃダメだ、と色んな本を読み漁ったりもした。

 

私が勤めていたその整体院を辞め、自分でお店を持って2年が過ぎたころ、キンセンカさんから電話があった。毎日のように会っていたキンセンカさんの声を聞くのは実に4年ぶりだった。

「わたし、結婚するよ。先生には知らせたいな、と思って。

あの頃、父親を亡くしたばかりでずいぶんおかしかったと思うんだ。毎日のように相手させて、ごめんね。でも、ありがとうね」

あれから母も死んで、実家片づけて東京に越すことになったんだ、と話を続けた。

そして最後に、ほんとうにあの時は、ありがとね。と言った。

電話越しであったから見えなかったと思うが、私は声を詰まらせて、何度も、何度もうなずいた。

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