とりあえず パニック障害になるまで (3)

 それでも台湾出張

 子供の手術も無事終わり、ICUから一般病棟へ

 もう一人の子供も未熟児の保育室から一般病棟に移り妻も退院したころ

 気が付いたんです。 主産祝い どこからももらっていないぞ!!

 そうですよね、生きるか死ぬかわからない状態で 出産祝いだなんて

 そんな子供が生まれてから3か月後に 上司からそろそろ台湾に行ってくれと

 良い言い方で <社員にやさしい会社で 我が落ち着くまで 仕事を止めて待っていてくれたんです>

 他の言い方すれば 代わりになる社員がいない だから”がんばれ”

 我も調子にのって「俺がいないと 仕事が進まない」って思っていた頃です

 そんな勘違いをしながら 台湾に行きつづけました。

 

 ある時、日本のある会社が倒産し 代替え品を台湾で調達することになり

 断ればいいのに、ついでの仕事だからって言われ その製品も担当することに

  現地法人に対象のメーカーをリストアップさせ それを回って一社に決める

 そこで初めて台北に行くことになったんですが、それまでの3年間高雄に居ましたので

 ある程度は英語も中国語も覚えて慣れていたつもりが 台北は違っていたんです

 我の覚えた中国語は実は台湾語だったんです

 (たとえば我は台湾語で わぁー、中国語で うぉー)

 カルチャーショック!!

 それから数年 中国語は話さないことにしました


 そんなある時家に帰ると 妻が泣きながら我に訴えてきたんです

 「息子が高度難聴なの」心臓の手術後順調に大きくなってきたのに

 両耳補聴器になってしまいました。2歳の時でした。

 






 

 


 

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