偏差値35だった僕が名門大学に入学し 在学中に公認会計士試験に合格した話。3
予備校へ入学
父に無理をいって余計な出費をしてもらい、予備校へ通えるようになりました。
僕の住んでいた三重県三重郡はほぼ四日市で名古屋寄りの位置にあります。 名古屋までは近鉄電車で約40分。
朝5時に起きて始発に乗り、そこから終電までひたすら勉強し、 帰宅してからも深夜まで問題集を解く。
睡眠時間は2~3時間。
もちろん友達と遊びに行くこともなく、一年間という限られた時間で、
どれだけ偏差値を上げていい大学に行けるかが僕のすべてでした。
食事といえばマクドナルド。 1日2~3回ペースでハンバーガーセットを早食いしていたので、 肌は荒れ放題。
体重は今よりも20キロくらい太っていました。
しかし外見など全く気にせず、勉強に打ち込んでいました。
猛勉強の結果、偏差値は58まで上がりました。
早稲田や慶応には及ばないものの、あと数ヶ月、
この調子で右肩あがりしていけば、ある程度名の通った大学なら十分狙える範囲でした。
「今度こそ絶対に行ける」
そう確信していました。
あんだけ頑張ったのに...
「なんでだ‼︎」 早稲田、慶応、明青立法中、関関同立

全部不合格。
勉強した結果、偏差値は60近くになっていたのに、全部落ちました。
1日20時間もかけて一年間ずっと頑張ったのに。
春も夏も秋も冬も。
友人とも一切遊びに行きませんでした。
高校時代からの彼女とも別れました。
自分の将来のため、
父の期待に応えるため、
ここまで育ててくれた恩を返せるような人間になるために。
貴重な青春の一年間をささげてきました。
本当にショックでした。
あまりにもショックで最後の合格発表の日に、 やけくそになってママチャリをかっ飛ばして遠くに行きました。
盗んだバイクで走り出す
行き先もわからぬまま
暗い夜のとばりの~なか~へ~えええ~
まるで 尾崎豊15の夜。
とにかく田舎の夜道の闇のなかをママチャリでひたすら走りました。
なんてちっぽけで
なんて意味のない
なんて無力な
15のよ~る~
どれだけ走り続けたのでしょうか。
気がつくと街の明かりが見えてきました。
家から20キロほど離れた鈴鹿市に着いていました。
(4へ続く)
著者の金川 顕教さんに人生相談を申込む
著者の金川 顕教さんにメッセージを送る
著者の方だけが読めます