若干10代で上から下まで、すべて大怪我をした話

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そう、僕は転んだのだ。

しかも、豪快に。



駆け下りている途中で、キックボードが止まらなくなり、

友達にぶつかりそうになって、

姿勢を崩して宙に舞った。



ヒュ~~~~


バタンッバタンッズドドドド・・・



明らかに体の一部がおかしいことが分かった。

左の鎖骨に違和感を覚える。

このときばかりは分かった。


「これは完全に折れてる」と。


友達が近くの湧水の流れているところに連れて行ってくれ、

汚れている箇所を洗い流し、

周りに落ちている枝を使って、とりあえず腕を固定してくれた。


普通、小学6年生でここまで処置はできないと思うが、

この友達はヤケドをしたときに川に連れて行ってくれた友達だ。


あとで聞いた話によると、

ヤケドの時に経験したから冷静でいられたとのこと。


なんてやつだ。


案の定、僕は左鎖骨を骨折した。


でも、医者には

「運動神経が悪かったら、頭を強打していた」

と言われ、少しホッとした。



運動神経がもし悪かったら

僕はそのままキックボードで死んでいたかもしれない。




でも、鎖骨骨折をした日の2日後に実は地区の陸上大会を控えていて

多数の小学校が集まり、

僕は100m走の選手だった。


当然、辞退するしかなかった。


悔しかったのが

その大会の100m走の優勝タイムより

自分の方が速かったことだ。


とても悔しい思いをしたし

先生にめちゃくちゃ怒られた。


完治するまでに1ヶ月半はかかった。


とても痛い思いをした。




僕は、ジャッキー・チェンがすごく好きで憧れていた。

友達の周りでは、

「ジャッキー・チェン」と言えば「僕」で、

「僕」と言えば「ジャッキー・チェン」というぐらいだった。


それぐらいジャッキー・チェンが好きで

友達にも映画を観せていた。


ジャッキー・チェンも数々の大ケガをしてきたが、

僕はそこだけが似てしまったようだ。


ジャッキー・チェンはアクションスターだからケガをしてきたのに、

僕はアクションスターでもないのにケガをたくさんした。


僕はこんな周りに迷惑をかけるどうしようもない子だった。


わんぱくというよりただのアホだった。




でも、実はまだ僕の武勇伝は終わらない。


毎年のようにケガをしていたが、

中学ではピタッと止まり、やっと終わったかと安心していた。


だが、高校に入り、再びケガのオンパレードが始まった。


僕は中高とずっとバスケ部で、

どちらかと言うと注目される選手だった。



高校1年生のとき、

バスケをしているときに

右足首をひねってしまい、約1ヶ月の松葉杖生活となった。



高校2年生のとき、

これもまた練習中、ジャンプシュートを打った着地時に、

周りの人の足を踏んでしまい、グニャっと変な風に左足首が曲がり、

また骨折をして、松葉杖にお世話になった。


剥離(はくり)骨折と言って、

骨が筋肉によって引っ張られてしまう骨折と言われた。


まだまだ終わらない。


同じ高校2年生のとき、

バスケをしているときに

ぎっくり腰になり、そのまま椎間板ヘルニアと診断された。


17歳でヘルニアになり、人生が詰んだかのように思えた。


じゃあ、高校3年生では何をしでかしたのか?





僕は高校3年生を経験していない。


そう、高校を中退したのだ。


勉強から逃げ、未来が見えなくなって怖くなって

高校を辞めた。


原因はうつ病です。

※この話はまたしようと思います。


今度は心を折ったのだ。





とにかく、


ケガ・ケガ・ケガ


の少年だった。




そして、またこの話をしたことによって

僕はケガをした。


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