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16/10/14

空だって飛べるよ 〜4.母に蔑まれて育った〜

Image by Olia Gozha

小さい時の私は従順で、親に反抗する事も無い大人しい子だった。

成績は中の上だったが、自分で宿題をこなし、弟や妹の世話をしていた。


手伝いだって主婦並みにこなしていた。



でも母が私を褒める事はなかった。


感謝の言葉すらなかった。


私はいつだって怒られていた。


「要領が悪い」


「片付け方が下手」

「色が黒い」


「融通が利かない」


「頭が悪い」


「不器用だから人の10倍努力してやっと普通」


「あんたの作った物は汚くて食べたく無い」


誰かが褒めてくれようものならその何倍もの勢いで否定し打ち消した。


「凄〜い!足が長いわね」


「この子は足が長いんじゃ無いんです。お尻が大きいだけで」


私にとって母の言葉は絶対だったから、例え白でも一瞬で黒になりそれを信じて疑わなかった。


そんなの嘘なのに私はずっとそれを信じていた。



私は小学校に上がる前に1人でお使いに行っていた。


線路を越えて商店街の八百屋をはしご。


普通なら褒めてもらえる事だ。


でも母はダメだった事にいつまでも着目して馬鹿にした。

「この子ったらキュウリを3本買ってきてってお願いしたら、1軒目は2本入りで、2軒目は5本入りだった。って言って何も買わずに帰ってきたんですよー。」「ホント融通が利かなくって」


事あるごとにその一度きりの間違いを引き合いに出しては笑い者にした。



反対に妹の事は死ぬほど褒めて猫可愛がりした。


目に入れても痛く無いとはああいう事を言うのだろう。


妹は喘息だった。


発作が起きたら食が細くなるのでゼリー、プリン、ヨーグルト、フルーツ。色とりどりのデザートが冷蔵庫に準備されていた。


でもそれを食べて良いのは妹だけ。


私とすぐ下の弟はそれを口にする事ができなかった。


市販のおやつを殆ど買ってもらえなかった私達だが、その時はそういうもんだと何も思わなかった。


お金が無いから、病気だから。


そう思って過ごしてきた。



中学の入学式。


私の制服は母が誰かから貰ってきたお古だった。


対する妹は小学校の卒業式に新しい服を買ってもらっていたた。


中学の制服も私のお古ではなく新品。


「この子はオシャレだから」


それが母の言い分だった。


ピアノが欲しいと言うとYAMAHAの電子ピアノを買ってあげていた。



妹と違い女の子扱いしてもらえなかった。歯ブラシの色が赤、黄色、青とあったら赤は問答無用で妹のだった。


私は父に切られた散切り頭のショートカットに、いつも同じポロシャツ同じジーンズ。


色が黒く、線が細いのでみんなから「男の子みたい」と言われて育ってきた。



習い事も私だけ許してもらえなかった。


水泳、書道、塾、家庭教師。


下の3人は程度はどうあれ何かしらの経験がある。



そして事あるごとに母は妹と比較しては私を馬鹿にした。


「妹は器用だけど、あんたは不器用。妹の10倍努力して普通」


「妹は要領良いけど、あんたは要領悪い」


「妹はセンス良いけど、あんたは悪い」



私とすぐ下の弟は母に愛されたかった。


母に認めてもらいたかった。

その為にどれだけでも頑張ったし、我慢もした。

どうしたら愛してもらえるのかずっと考えた。


何度も何度も「妹と私どっちが可愛い?」と聞いていた。


母は決まって「みんな一緒よ」と言った。


だが大人になったいまも妹ばかり可愛がっている。


先に産まれた私の名前を妹の名前で言い間違える。

上京して数年経っても母からは仕送りの段ボールどころか、手紙も電話も入らなかった。

上2人の子供には無関心。


「愛情の反対は憎しみじゃなくて無関心」と言う。


…。


そういう事なのだろう。


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