自分がない!!自分をなくす!!

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これを社交的な性格と呼んでよいのか?


その定義はひとまず抜きにして、基本的には誰とでも話を合わせることはできる。


ただし、あくまで「基本的」に。


無論適当に合わせるのではなく、「適度に」という繊細さは必要だ。


相手の雰囲気や話し方から、それとなく探りを入れていく。


そして差し障りのないように、傷つけないように、怒らせないように、話し方や話の内容を選別していく。


大抵の場合はこれで円滑に関係は築ける。可もなく不可もなくといったところではあるが。


しかし、こういう立ち回り方はダメというか逆効果な場合もある。


それは相手がイエスかノーの二択主義の時。


腹を探るような、時にはご機嫌を伺うようなファジーな態度は通用しない。


こちらの本性が見えていないうちはそれなりにかわいがってもらえたり、積極的に声をかけてくれたりするのだが、ある瞬間を境にスパッと嫌われるのだ(笑)


なぜか?


その適度な言葉の中に「自分がない」ことを見抜かれてしまうからだ。


相手に合わせるということは、どこかで自分を殺すことになる。


自分を殺すこと事態はそんなに苦でもないのだが、「本音はどうなんだ?」と突き付けられたらひとたまりもない。


所詮は作り物の会話だ。いとも簡単に崩れさる。


実際こういった崩落事故で途絶えた関係もいくつかあるのでこんなことを書けるわけだが。


ならばそんな姑息な手段を講じなければいい。自分らしさを前面に出して直球勝負をすればよいのだろう。


しかし…しかしだ。自分を出すことには抵抗もあるし怖さも感じる。


さらに言うならば、本当に「自分がない」から、そんな無謀なことはできないというのが本音。


おそらく幼少期から培ってきた処世術が、今の「自分がない」自分を形成してしまったのだろう。



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