日本でダメ人間だった私がスピリチュアルヒーリングと出会い、1年でアメリカの教会でゴスペルを歌うまでになった話

また怒られた・・・。
Mちゃん
そりゃそうだよ。また会社お休みしたんでしょ。

日本で社会人をしているときの私でした。

仕事のある日、ない日問わずにやる気はあるのに体が動かない。原因不明の体調不良が続くが明確な病気ではないという日々が続いていました。


これでは育ててくれた母親に顔向けができないと自分を攻める日々が続きました。


それもそのはず私の育った家庭は母が女手一つで支えるシングルマザーの家だったからです。私が小学校に入学する前、約30年前に両親が離婚しました。現代とは違い当時の社会においてシングルマザーはポピュラーではありませんでした。どちらかというと人間失格くらいの扱いをされていました。


そういう家庭だったからこそ、母親は人一倍、世間から自分たちがどう見えるかを気にした教育をしました。それは、人にばかにされないようにと厳しい教育だったとも言えます。だから、勉強もたくさんしないといけませんでした。


私はそんな母の想いを頭では理解していたので心の底では歌や心理学が好きだったことも言い出せずに、母親が望む、一人でも安泰して暮らしていける道を選び、エンジニアなど技術系の人材を育成する専門の学校、工業高等専門学校(高専)へ進学しました。


高専での勉強があまり得意ではなかったにも関わらず、最後は良き先生に恵まれ卒業後は宮城県の大手企業の子会社に設計エンジニアとして就職することができました。そこでずっと働けば贅沢さえ言わなければ安泰。順風満帆な生活になるはずでした。実際、上司にも恵まれ、優しい先輩もいて環境も悪くありませんでした。


しかし、約15年ほど前のエンジニアの社会は今よりももっと男社会であり、男のように振る舞わないとやっていけませんでした。そのことが、自分が思っている自分像と大きく違っていて、エンジニアの仕事自体も楽しいと思えず悩み、最後にはとうとう、「うつ状態」になってしまいました。




もちろん頭ではわかっているんです。自分に自身を持って自分を責めずに進んでいかないといけないことを。


しかし自分の思考とは裏腹に精神が言うことを聞いてくれません。結局、長期休暇をもらうことになってしまいました。


父代わりのおじ、もうひとりの母のようなおばの家に居候して休息を取りました。少しでも違う道に進めるようにと予てから興味のあった英語を勉強し始めました。半年ほど休暇を取った後職場に復帰しましたがやはりやりたいことがこれではないと、やはり再発したうつ状態で朦朧としながら暮らしていました。

「これではだめだ!」ととりあえず場所を変えてみようと思い上京することにしました。上京後しばらくエンジニアの仕事を続けましたがやはりエンジニアがやりたいことではない!とエンジニアを退職しました。


しかし「これがやりたい!」という確固とした職業もなく、漠然と子供から大好きだった歌を歌いたい、いつか当たりが出ないかなあという気持ちで辞めたので定職につくこともありませんでした。


とりあえず、将来は英語の歌を歌いたいから英語の使える職場に行こうと中国製品の輸入会社に勤めるも、あまりに社長がブラック過ぎて退職にまで追い込まれてしまいました。当時一緒に働いていた人とは今でも友達ですが、聞いたところによると山のように汚職があり会社自体も存続しておらず、自分が退職しなくとも職がなくなるのは遅かれ早かれという様子だったようです。


その後、事務職や営業など転々としました。どの職場も学ぶべきことが多かったですが夢に使う時間と会社へのロイヤリティに対する時間配分というのがすごく難しく、勉強しながら勤めては辞めて、勤めては辞めてを繰り返しました。


このままではなんにもなれない・・・。


なんとか、働きながら自分の時間を確保できることができないか?


そう思いながら最終的にたどり着いたのが米軍基地の勤務でした。職場の環境がとても良いとは言えませんでしたが、仕事の時間と自分のプライベートの時間をきっちり分けて仕事をすることができたので、渡米直前まで続けることができました。



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