父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(4)

前編: 父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(3)
後編: 父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(5)


外科医は青い手術着だった。

「松本さんですね。本人確認のために、フルネームと生年月日を言ってもらえますか。」

坊主頭、無精ひげ。細い目の奥の眼光は鋭い。呼吸器外科の執刀医として生死を分ける瞬間をいくつも見てきたのだろうな。内科の主治医とは違って、金属的なメスの臭いがするような気がしたよ。

「松本晃一です。昭和35年10月…」

その日には、母さんと一緒に日赤に来るよう看護師から言われていた。がんの告知を受けた日にアンケートをしたとき、「命にかかわる重大な話を聞くときには、あなたは、どうしたいですか?」という質問に、父さんが「配偶者と一緒に聞く」と答えていたからだった。だから、その日に聞くことは、父さんの命にかかわる重大な話だったんだ。

「現段階での診断は、肺腫瘍です。」

外科医は単刀直入に切り出して、

「間違いなく言えることは、右肺の上葉に腫瘍があるということです。腫瘍とは、良性のものも悪性のものも含めて、体にできるデキモノの総称です。問題は、このデキモノは一体何かということですが。」

病院の社用便箋に青鉛筆で「肺腫瘍」と書いた。そして、肺の絵を描いて、右肺の上葉を赤鉛筆でマークした。

「仮に悪性であったとしても、どのような状態で、どのレベルまで進行しているのか、それがわからなければ、今後の治療方針は立てられないのです。では、その解決法は?それは、その腫瘍の一部をとって顕微鏡で診ることです。病理診断です。」


「腫瘍の一部をとるには、『気管支鏡生検』という鼻や口から内視鏡を入れる方法や、『CTガイド下針生検』という、CT撮影をして体の断面図を見ながら体に針を刺して組織を採取する方法があります。診断率が最も高いのは手術です。手術中に病理診断をして、その後の処置を直ちに決定します。」

全身麻酔、分離換気、技術的に可能であれば胸腔鏡下手術。

術中に迅速に病理診断を行い、良性である場合には手術を終わる。また逆に悪性であり、かつ転移が認められ進行している場合にも、一旦、手術を終わる。そうでなければ、そのまま引き続き手術をし、右上葉を切除すると共に、転移に対する処置としてリンパ節を郭清する。

「このデキモノは悪性である可能性が極めて高い。悪性であるならば、早期に確定診断をして治療をしなければ、余命に大きくかかわるのです。」

余命という言葉が生々しい。

自分のこととして現実に余命と聞くと胸が苦しくな​る。父さんは皮膚がピリピリしているような感じだった。母さんは、そんな父さんの後ろにすわって聞いていた。

「今、得られている情報がすべて正しいならば、松本さんの場合、ⅠA期の肺がんです。もしそうであれば胸腔鏡下手術をし、リンパ節を郭清することが有効な治療となります。」

外科医は理路整然と話を進めていく。

ⅠA期ならば、早期発見で治療しやすいのでないかと思う。

しかし、

「無論、手術にもリスクはあります。術中、術後に肺炎などの合併症により死亡したり、恒久的な障害の起こる可能性もあります。このリスクは通常、約1%です。」

通常、約1%。

100人に1人が死ぬ。

これは高い確率ではないかと内心思う。気持ちが揺れる。

「このままにしておいて手術をしないという選択肢もあります。この場合、当然、手術に伴うリスクは0%です。ただし、肺がんは、ある時期からは、急激に悪化します。」


外科医は、社用便箋に「このまま」「治療」という選択肢を書いた。

治療にあたっての方法とそのリスクを、赤鉛筆で書き加えた。

リスク説明を聞いた上で、どうするのかを考えようと外科医は言った。父さんは、自分自身のことなんだけれでも、容易には合併症や恒常的な障害、それに死ぬということを受け入れられなくて黙っていた。何も言わなかった。父さんは、何も言えなくなっていたんだ。

「先生…」

そのとき、ずっと黙っていた母さんが口を開いた。

「もし手術をせずに、このままにしておいて、悪性であった場合には、どれくらい生きられるものなんでしょうか?」

外科医は即答した。

「一年か、二年」

余命は、何もしなければもうほとんどない。父さんは母さんと顔を見合わせた。早い。もし手を尽くさなければ、相当早い時期に肺がんは進行し急激に悪化する。

父さんと母さんは、手術をすることに決めた。

続きのストーリーはこちら!

父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(5)

みんなの読んで良かった!

STORYS.JPは、人生のヒントが得られる ライフストーリー共有プラットホームです。