死ぬくらいでも、辞められない話

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まず体力がついていけなかった。

私はスポーツ人間でも体力に自信のある方でもなかったが、これはそういうことではないと思う。

多くの時間を会社で過ごすということは、自分の何割かの元気が常に損なわれた状態で毎日過ごすことになる。

健全で正常な思考や感覚や意識が、ずっとない状態で生きていくということだ。

土日の休日はあるにはあった。

けれど、土曜はまず疲れを取ることに費やされ、日曜の午後あたりでやっと、さて残りの時間をどう過ごすか意識できるようになる。

前もって休日の計画なんてできる余裕はない。

そして、土日の休みがいつもあるわけではなかった。

そんな状態では、もう平日の午後7時位になってくると、頭がどうやっても働かなくなり、心は冷えて固まってしまったようだった。

疲れてたというより、崩れてたという感じだった。

給料は使う暇さえなく、口座のお金はただ増え続けた。

そして、仕事が繁忙期を迎えるようになると、退社時間は午後10時を超えるようになり、終電間際ということも珍しくなくなった。

私はまず身体から段々と追い詰められていった。

身体が少しずつ悲鳴を上げ始めた。

朝、会社に出られない日が少しずつ出始めた。

4 消耗

最初はまず10年は働くだった。

1ヶ月でそれが5年になった。

半年経つと、何とか3年は働きたい、になった。

そんな私もその会社を辞めるつもりはなかった。

それは、まず、学生の頃の自分の不安から逃れたいという思い、安心を手放したくないという思いだった。

自分がこれまで考え抜いたことが、全て無駄だったなんて思いたくなかった。

それに、社会人をこなしていくという普通の生き方を、自分が果たせないなんておかしいという見栄。

普通じゃなくなるという怖さ、その先に待っているよくわからない暗闇。

そんなものが私を自分から締め付けて、重い足を無理やり前に進ませようとした。

果てしない消耗戦。

いや、もう終わりは見えている消耗戦だった。

でも、その頃の自分は、自分が追い詰められていることすら判断することは難しかったと思う。

生きる屍のように、毎日をただこなすだけ。

頼る同僚も、弱音を聞いてくれる上司もおらず、ただ、もっと、もっとと自分の不足を指摘され続けた。

大学時代の仲間にも、自分がどういう状態で、何に苦しんでいるのか、伝える余裕さえなかった。

死にたいとか、死んだほうが楽になるとまでは思わなかった。

正直、そんな発想すら考える余裕はなかった。

ただ、追い詰められていたから、あのままだったらどうなっていたかはわからない。

進むことも辞めることもできず、長く重い日々が過ぎていった。

5 幻想

そんな私がもっと追い詰められるというか、今思えば救われたかもしれない経験をする。

一つは9月。もう一つは翌年の1月。

9月にその頃の自分の思いをあるだけ詰め込んだある企画をした。

会社とは別に、休日に施設に依頼をし、協力を取り付け、仲間を集めて、企画を練った。

自分の思いがきちんと果たす場を作ることができれば、仕事のモチベーションもまた上がるはずだと思った。

少ない休みの時間を削って、パソコンに向かった。

その企画を終えたとき、私は違和感と疲れしか残らなかった。

あれ、このために自分はあの会社で働いて、ゆくゆくはこういう進路で生きていきたいんじゃないのか。

何かがおかしい、自分に対する疑いが始まった。

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