とりあえず パニック障害になるまで(7)

 

 単身赴任から帰国し、妻が乳がん 延命治療 子供は双子の小学校一年生 一人はろう学校

 台湾には結婚を約束した彼女を残している

 こんな状況で我が下した判断は 台湾に残した彼女に待ってもらい 妻の最後を看取ろう

    都合のいい話である。 男の身勝手が招いた状況だった。

 台湾の彼女は 何も言わずに了解してもらった。 しかし、いつまで....

 

 会社には妻の件は話しておいた。 こんな状況なので配慮してもらおうって

 しかし、運が悪く会社の業績が悪化し 人員整理を行うことになった

 まったく無能な経営者は業績が悪化するとすぐに人員整理をする

 なにが少数精鋭だ

 自分の部署は部下が4人いたのが 一人も残らず 自分一人になってしまった

 格好よく言うと プレイングマネージャー  言い方換えると 何でも屋

 帰国早々である また、ろくに引き継ぎもなく皆去って行く それも他の事業部へだ

 わからないことを聞くこともできず 残された我は狼狽えるしかなかった。 

 業務は 急を要するものから 将来的なものまで 多種多岐に渡っていた

 妻が入院すると 家事をしなくてはならず 辛かった

 残業も今のように 過剰勤務だなんて誰一人言わない 会社に居る時は36協定内

 残りは家にPCを持ち帰りメール応対をやる

 激務そんなのは通り越していた 

 そんなある朝、左足の親指が痛くなった 皆から痛風だと言われたが 午後には左足全部が痛くなった

 病院に行って診てもらうと 坐骨神経痛 参った 自宅で3日静養して痛みもなくなったが

 原因もわからずそのままだった

 一番ショックは仕事がそのまま残っていたことだ チームがないのだから当たり前である

 出社して 心配されるより 怒られただけだった

 今のようにパワハラなんて言葉もなかった 仕方ないと自分を納得させた

 それから半年もしないうちに 今度は心臓が変になった 社内の診察室で診てもらうと

 不整脈が出ている すぐに医者に行くように指示された

 指定された病院で検査 結果 ストレスによる不整脈だと分かった

 その時の我は「なんだストレスか!!」

 薬を貰い 会社に戻った

 甘く見ていたんだね ストレスを

 子供が四年生になった冬休み すでに妻は寝たきりになっていた ベッドの横には酸素吸入機

 正月休みだったため 子供は妻の実家に預け 二人だけの正月

 始めて我がお雑煮を作った 

 その時妻が言った「もうだめかもしれない」

 

 

  

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