生まれて初めての北海道~83歳の私を息子が北海道旅行に連れて行ってくれた話

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 夫は、現在、特別養護老人ホームの自分の部屋で、落ち着いた生活を送っている。  

 二年前、動脈瘤破裂を防ぐ大手術を受け、そのとき運悪く起こした脳梗塞のせいで体が不自由になり、意識も戻らないまま月日が過ぎてしまった。

 リハビリの成果で一時、物につかまって立てたり、言葉を発したり出来る時期もあったが、その間、幾度も救急搬送される事態も起こり、やっと今の状態におさまってまだ半年もたたない。

 かろうじて、妻、二人の息子、孫たちのことは認識できるが、面会に行っても、一言も言葉を発しない日もあり、家族としては、一日も気の休まらぬ年月であった。

 この六月には、私自身もケアハウスに入居した。

 男の子三人を育て上げた臼井の広い家は、ほとんどの家具、日用品、衣類も始末してしまい、ガラーンとしている。一人暮らしは体力面でも精神面でも不安で、息子たちも心配してくれる。ちょうど近くのケアハウスに空きが出来、ケアマネージャーの強引な薦めもあってとうとう移る決心をした。

 ここでの生活も三ヶ月を過ぎて、少し自分のことを考える余裕が出てきた。

 

 この二年あまり私は何をしてきたのだろう。もちろん自分の楽しみなど考える暇はなかった。辛うじて文章教室だけには頑張って出席し、他に何も書くことがない中、「二人の闘病記」を書き続けただけだったかもしれない。

 二、三日でもいい、どこか自然に囲まれた静かなところで、おいしい物を食べてリフレッシュしたら、元気になるかも?と、ちょっと贅沢な想いが浮かんでくるようになった。 

 

 そんなある日、長男から申し出があった。

「北海道へ旅行する気はない?」

 ついこの間大きな台風が、北海道に被害をもたらしたばかりの時であった。 台風、地震、津波が九州から四国、関西、東日本、東北と、くまなく荒らし回って、日本中が心を痛めている最中なのに。

「北海道は広いんだから。台風の被害のない所だってあるから大丈夫だよ。航空会社もホテルも観光客誘致に必死で、格安プランまであるんだよ」と、被災地には申し訳ないことまで言い出す。

「どうしてそんなこと急に思いついたの?」と、訊くと、思いがけないことを聞かされた。

 

 私と彼はこの八月末、信州の立科に五日ほど滞在した。 

 夫が残してくれた山荘を処分するため、衣類、寝具、食器などを断捨離しなければならないという、うれしくない仕事のためだった。

 夫がまだまだ書きたかったであろう『内村鑑三私論』の続編の書きかけ原稿の束。最後の海外旅行のアメリカ五大美術館巡りの際、買って大事に抱えて持って帰ってきた画集。みんな捨てなければならなかった。

 辛いことではあったが、一方、白樺の林に囲まれ、朝な夕な小鳥の声で目を覚まし、季節外れの閑散とした別荘地内を散策する。久しぶりに生き返った心地であった。私の喜び様を見て、息子は、お袋を旅行に連れて行ってやろうと思ったらしい。それで「北海道はどう?」に、なったらしい。

 しかしそう簡単には決心は付かない。なにしろ生まれて初めての北海道。

 旅行などずっとしていない。体力の衰えも加速していてとても自信がない。 夫を放ったらかしなんて、そんなひどいことしていいのかしら。

 何を持って行けばいいのか、何を着て行けばいいのか、自分でさっさと決めることも出来ない。

 とても無理だと諦めかけたり……。ついこの間過ごした立科の、すべての煩わしさから解放された豊かな数日を思い出し、やっぱり私にはリフレッシュする時間が必要なんだ。息子たちがそれを感じて、お袋が元気で動けるうちに、そういう時を与えてくれようとしているのだから、それに感謝して受け取らなければ……と、思い直したり、めまぐるしく気持ちが揺れた。

 それでも、ケアハウスの周りの人たちの励まされたり、臼井の自宅の近所の人からもけしかけられたりして、とうとう決心が付いた。

 これが最後かもしれない、反対にかえって自信が付いて、また行こうと言い出すかもしれない。それはそれでいいじゃないかと、開き直った。

 そして最低限の着替え(特に寒いとき用のコートやセーター)、薬、メモ帳など、手荷物制限の七キロを超えないように押さえ、そっとケアハウスの風呂場のはかりで確認したり、毎日毎日何度も何度も入れたり出したり、やり直したり、息子に迷惑をかけないように用意万端整えた。

 夫を置いて行くことには、最後まで躊躇させられたが……、仕方がない。 

 さて予約してくれた飛行機やホテルはどんな物なのか。息子がパソコンのメールで資料を送ってくれた。

 航空券は、多分最も安かったJ・Sの会社のものだが、ホテルは支笏湖湖畔のリゾートスパ『水の謌』。ホームページも見られるようにしてくれたので、ゆっくり見て納得する。夫とでさえも行ったこともないような、デラックスなホテルで、ちょっとビビってしまいそう。

 出発日の朝、彼が亀有から佐倉のケアハウスまで迎えに来てくれることになった。成田を発つのは午後二時。新千歳空港着は四時。

 今回の旅行で一番心に残ったのはと訊かれたら、間違いなく「空港での移動の辛さ」を挙げることになるだろう。

「北海道までは乗ったら一時間。東京へ行くより近いんだからね」と、繰り返し聞かされていたのが、バッチリ頭にたたき込まれているので、飛行場の移動がこんなに大変だとは、想像もしていなかった。格安航空会社だからか、ターミナルも一番遠い。第三ターミナルへ行くのも大ごと。搭乗口も一番奥。暑さの中、階段上ったり降りたり、次の階段までぐるぐると歩き回り、飛行機に乗る前にもうクタクタ。「もう、帰りたい」と、弱音を吐きそうになる。

 後で歩数計を見たら、四七二七歩〃。普段ケアハウスで過ごす日は、二〇〇から四〇〇歩なのだから、心筋梗塞を起こさなかったのが奇跡に思えてくる。 それでも息子に悟られないよう、ニトロテープを貼って、素知らぬ顔をする。

 やっと搭乗時間になる。窓際に私、その隣に息子。身長一八〇センチ以上の彼には可哀想なくらい窮屈な座席だ。膝頭が前の座席の背もたれに食い込んでしまう。テーブルも開けない。

 夫と何回か乗った国際線では、窓際になったことはないので、うれしくておでこをくっつけて外を見る。

 離陸すればあっという間に雲の中。何も見えなくなったが、すぐ雲の上へ出て青空がまぶしい。

 下の雲海、その間に時々見える海の青さも見事。先ほどまでの苦しさもすっ飛んで、いちいち歓声を上げる。高いところから見える海は、波も見えず、絨毯を敷き詰めたように見える。まもなく、雲の間から陸地らしい物が見えてきて、山並みがちらほら、次いで町並み、道路、川などがはっきりしてきたと思ったら、ガガガッとすごい音がしてもうちとせ空港に着陸。

 ホテルの迎えのバスで一時間余り、ほとんど林の中を走ってホテルへ到着。 ウエルカムラウンジでおしぼりとお茶のサービスを受け、チェックインする。 日没間際の写真を撮りに、湖畔へ出る。

 「これが支笏湖だ」「北海道へほんとに来ちゃったあ」


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