Mana Earth 〜manaki誕生の物語〜【第1章 はじまりの出会い・前半】
★第1章
・はじまりの出逢い
・H君の不思議なチカラ
・吉井家のこと
【 第1章 】
・はじまりの出逢い
京都府亀岡市。
京都駅から電車で20分ほどのところにその街はある。
H君という生まれつき不思議な能力を持っていた少年と、ひとつの家族が出逢うことからこの物語は始まる。いや大きく動き出したという方が相応しいかもしれない。
・H君の不思議なチカラ
H君は小さい頃から子供の霊と遊んだり、誰もいないのに誰かと話していたりする子供だった。
彼にとってそれはごく当たり前で、誰もがしているものだという認識だった。
祖父が亡くなった頃から、父親の虐待が始まった。
H君は耐えられなくなり、家の近くにある田んぼの溜池で自殺をしてようと胸の辺りまで水がつかった時、誰かにこう言われたのだった。
「本当にそれで良いのですか?」
「あなたが作った世界ですよ。」
その時、彼は悟った。
自分がこの世界の中心にいて全て自分が作り上げたものだということを。
それはH君にとっては“ 理解 ”ではなかった。
認識であり自覚であり、ただ自分が知っている事実を思い出したにすぎなかった。
中学を卒業した頃。
両親が誰かの愚痴を言っていた。
その人の名前を見るなりH君が性格や過去の情報を語ったとき、両親は彼の“霊能力”の存在を認識することになる。
それを機に、未来過去などを見る能力に目覚め、「姓名判断」という形で親戚や家族の友達などの相談を受けるようになった。
また、手から煙のようなものが出た。
それは人間誰もが持つ“気”が目に見える形で現れた姿であった。
その辺りか、能力者として有名となり出し、スプーン曲げをはじめとするパフォーマンスを覚えたことも重なりその認知度は加速した。
学校では、遅刻ギリギリで登校し、4時間目まで寝ている 。
昼からお弁当を食べて、図書室か保健室にいる。
図書室にいる時は、漫画を読んで笑っている。
保健室にいる時は女子生徒が自分の書いた紙を持って待っている。
姓名判断してもらうためにである。
下校して、家に帰るとお客さんが待っている。
そして、仕事が始まる。
そのような毎日を送っていた。
・吉井家の話
吉井家は父、母、息子、娘の4人家族で、父・シロウは陶芸家、母・ヨウコは主婦。
当時、息子のコウは高校生、妹のアヤミは中学生だった。
シロウは、山口県下関市に生まれた。
早くから陶芸家になることを志し京都へ出て、その道を極めた。
一方のヨウコは滋賀県長浜市で生まれ。
中学時代の同級生を介してシロウと知り合い、2人は結婚した。
亀岡に自宅を構え、窯を開いたのは1991年の時だった。
自然に囲まれた環境でアヤミとコウはいつも自然と戯れ、とても自由だった。
シロウはなんでも自らの手で作って与えた。森の中には子供たち専用のアスレチックが作られ、乗り心地の違うブランコがあちこちにあった。
ごく一般的で幸せな家庭にみえたに違いない。
とはいえ、人間には誰しも“感情”というものが存在するわけで、いろんな葛藤をそれぞれが持っていた。
シロウは幼い頃から、心に穴があいたような感覚があり、その穴を埋めるため本に答えを求めたり、外側に様々な働きかけをして、自分を満たそう奔走していた。
27歳の時、瞑想を指導しているインド人との出逢いをきっかけに瞑想を行うようになり深い体験をしたのだった。その特別な感覚を人と共有しようと話をしても受け入れてくれる場所は見つからないまま人生を過ごしてきたのだった。
一方コウは、物心ついた頃から孤独感とはまた違った空虚な感覚を感じることが多かった。
急に涙が出たり、身を置いている環境には恵まれているはずなのになぜか“満たされない”という感覚を漠然と抱きながら育った。
アヤミも当時「死にたい、死にたい。」と言って過ごすような毎日だったが、思春期にはよくある話である。