大学受験に二度に渡って失敗し、無謀な二浪にトライしようとした自分が父親の言葉で目を覚まし、1年後に志望校に編入した話

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こちらに投稿する理由。

下記は数年前、mixiに投稿した内容です。
個人情報に当たる部分を伏せた他、当時の考えを少し追加しましたが
ほとんど内容はそのままです。

新たな転機を迎え、ふとした事から
自分のこれまでの人生を見直していたのですが、
このときに抱いていたような思いで新しいフィールドに取り組みたいと思い、
再度こちらに書くことにしました。

若さゆえ、文体や展開が乱雑で読みにくい箇所もあるかと思いますが
ご容赦ください。

それでは、本文に。

いきなりですが、この四月から 
○○大学 農学部 ○○学科に通うことになりました。 

もちろん、もう知ってる人はたくさんいると思います。 
でも、大きな転換点を迎える前にここら辺で区切りをつける意味でも 
もう一度報告させて下さい。 
初耳という人もほんのすこし時間をくれたらうれしいです。 


話は6年前にさかのぼります。 
元々、自分は生態系に興味があって、それを勉強できる生物という科目を取りたかったので
高校に入学したときは迷わず選択しました。 
理系では履修する人があまりいなくて少人数というのもあったけど、 
教えてくれた先生がかなり高度な事までやってくれたからとても楽しかったです。 
いろんな関係性を学ぶこと、でストン、と世の中の色んな事が腑に落ちた気がしました。 

「なぜこの現象は起こるのか」、
「その原因や仕組みはどうなっているのか」を理解することで、
生きることが楽になったり、怒りや不安が抑えられると感じました。
自分の中では、その対象を特に命あるものに絞って突き詰めたいと考えました。

だから農学部に行きたかった。どうしても。 
それで、自然に関わる研究に携わりたかった。 
だけど大学側からの返事は×。 

とても悔しかった。
自分では、高校のときはともかく 予備校時代は勉強したつもりだったから。 
友達ができて、休憩時間にはばかみたいに騒いで楽しかったけれど 
不安でしかたなくて家に帰っては毎日泣くような日々で。 
全部がぜんぶ無駄になったようで虚しくてしかたなかった。 

当然のように二浪を考えて一年の後期は休学まで考えて。 
黙ってたけど駿台にもちょっと行ってたしね。 
親はもちろん反対。リスクが高すぎるやって、当たり前やけど。 

そして休学届を出す最終期限を迎えた1回生の夏のある日。
母親との衝突は最高潮に達していました。
もうお互い全身で主張し合って、それでも平行線でへとへとになって。

( そんなとき、最後に父親が出てきました。
父さんは普段家庭にあまり口出しをしないタイプで、
ほとんど母さんに任せっきり。
それでもこの事態を看過できないと思ったほど、
当時の私は相当に荒れていたのでしょう。)

なんでそこまでこだわるのかと聞かれて、 
父親に『自分のやりたいことに直線で進んでる友達がうらやましい』て言った。 
今在籍しているのは工学部の化学系学科。農学部とかぶってる領域もあるけど。 

そしたら『それは若い考え方だ』と諭された。 
意味が分からなかった。なんでも最短ルートを行ったらいいやんか。 

そう言ったら、父さんは確かこう続けたと思う。 
物事にまっすぐ突き進むのは確かに無駄がない。 
でも回り道したところにも必ず発見はある。助けてくれる人も絶対に居る。 
見つけられるかは自分次第なんだから、もっと長いスパンで考えなさい』 

その一言で視界が急にクリアになった気がした。 
今いるところで頑張ったらいいんやって素直に思えた。 

そこからは出されたレポートも一生懸命やった。 
課題も全部提出した。学校も毎日行った。 

それでもやっぱり違和感は残った。 
なんか違うな、やりたい事は他にあるなと明確に悟った。 
もう一人の自分をこれ以上抑えつけるわけにはいかなかった。 
(自分がもう一人、なんて青くさい言い方やね。 でもそう表現するしかない気がする。) 

このまま行ったら、院も不本意なかたちで方向性が定まってしまう。 
来年には分野選択も迫ってる。 

だから、今回の三年次編入は正真正銘のラストチャンス。 
ちなみに三年次編入は二年次にその大学の試験にパスすれば 
三回生から組み込んでくれるっていう制度。 
かなり特殊やから、知ってる人は少ないんじゃないかな。 
認知度も低ければとってくれる人数も少なければ情報量も少ない。 

そしてそんなイレギュラーな学生に大学側は厳しい。 
もっていける単位は62単位まで。必然的に留年する人もいる。 
研究室だって希望のところに入れるかも分からない。 
それを面接でもかなり教官に確認された。最終的な意思確認。 

やけど、こっちは編入予備校の授業受けに 
授業を○○(地名)で受けたあと去年の4月から週2で○○(地名)通ってたのよ。
(注:移動時間は約1時間半程度 当時は結構な負担でした。) 
この8月はほぼ引きこもってたのよ。 
結構気に入ってたバイト先もどたん場で辞めたのよ。 
やる気ではそこらの遊びまわってる大学生に負けんよ。 

本番は○月○日にA大学、○月○日にB大学という日取りだったので 
準備と移動で少しどたばたした。 
もう後はないと思った。 
真剣にこれで落ちたらこのまま大学に通い続けられるか分からないとも思った。 

話は変わるようやけど、私は意見がころころ変わると言われることが昔からよくあった。 
自分としては、その時思ったことをそのまま口にしてるだけなんやけど。 
でもこれに関してはまったく考えは変わらなかったんよ。 ずっと。
だからどんな結果になっても農学を勉強したいっていう考えは 
曲げられないやろうって自分で分かってたんよね。 
その点で自分に誠実でいるしかなかったし、 
またそこからしか前に進めなかったとしか言いようがない。 

でも本番前は不安でしかたなくて。
特にA(地名)に1人で泊まってるときはとてもこわかった。 
B(地名)の時も、このまま逃げ出したらどうなるかなってふっと頭をよぎった。 

常にこの2年間はみんなと逆行してる感があって 
焦りと一緒に、自分が間違ってるようにずっと思ってた。 
いや、それは浪人してる間からやったから、正確には3年間かな。 
今でもセンター試験が迫っててやばいっていう夢を見るから、 
どれだけそんな狭小なことに支配されてたのかって自分でもあきれるけれど 
これでいいのかなんて自問はしょっちゅうやった。 

だからすごいね、なんて言ってくれる人もいるけど 
実際は全然かっこよくなんてないんよ。 
その時支えてくれた人たちならよく知ってるけどね。 
迷って迷って悩んで悩んでその結果として 
ポンって誰かがくれただけなんやって自分では思ってる。 

確実に合格したと分かった時、 
伝えたい人が次々と頭に浮かんだ。 いっぱい電話してメールした。
みんな喜んでくれた。 
めっちゃくちゃにうちもうれしかった。 

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