6浪して大学へ: 貧乏,どん底の挑戦

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  私は奮い立った。「何歳になっても勉強していいんだ!やっぱりもう一回大学を受験しよう」。4浪目のころ再び意識しはじめた大学受験をしようという気持ちが、ここへきて確固たるものとなった。このロンドンでの1ヶ月はほとんど観光もせず、日本からとりあえず持ってきた受験参考書に毎日かぶりついた。ぜったいに大学に行く。ぜったいに。

 

■もう一回やってみよう

 

  帰りの飛行機の中でも受験勉強をするほど全力だった。日本に戻ってきたのは6月。受験まで半年程度しかない。そのため、1年半をかけて挑戦しようと考えた。このときすでに5浪目。6浪で合格するとを決意し、これで最後にしようと誓った。

 

  しかし「孤独感」には常に悩まされていた。とにかく耐えるしかなかった。孤独は人を強くするという言葉をどこかで聞いたことがあった。それを信じた。もうやるしかない。

 

 貧乏、学力不振、孤独、それに伴う頭痛や吐き気などの症状。それでもやっぱり大学へ行きたいという気持ちが自分を動かそうとしてくれた。なんでこんなに大変なんだろうと思いつつも、これを乗り切れば、ものすごい人物になれるような気がした。最後の挑戦、どうなることやら。

 

 

■横浜市立大学AО入試

 

   繰り返しになるが、精神的には常に不安定だった。気持ちの余裕がなくなり、感情を表現する機会も減った。意味もなく発狂したり、頭痛や肩こり、不眠症などが日々、私を襲った。そんな中での受験勉強はもはやなんとも表現しがたい境地だ。

 

 長らく大学受験から離れていたため、練習のつもりで大学を受験しておこうと考えた。とにかくいろいろな選択肢を増やそうと、AО入試というテストの点数ではなく、人物評価の入試選抜に挑戦しようと考えた。わかりやすく言えばオーディションのようなものだ。


  私が目をつけたのは横浜市立大学だった。学費も安く、総合大学のため、いろいろなことが学べると思ったのがきっかけだ。 

ささっと志望理由書を仕上げ、これだけの内容だったら現役生に負けるわけがないと自信に満ち溢れていた。しかも当日に関しては面接だというのに、Tシャツ、ジーパン、スニーカーというスタイルで挑んだ。周りの現役生たちは、制服でビシっと決めているのに自分はサンダル、ハーフパンツにポロシャツ(笑)


結果は、 

「不合格」


 今思えば当たり前なのだが、ショックだった。

 AО入試という人物評価の試験なだけに、人格そのものを否定された気がした。どちらにせよ、この時期に合格しても、資金不足だったから入学できなかったのだが、これをきっかけにさらに火がついた。

 関係ない話しだが、「国公立大学」なのになぜお金がかかるのだろう。国立大学くらいタダでいかせてもいいのに。

. AО入試がどういうものか身体でわかり、何をしなければいけないか明確になった。来年で最後の挑戦。今までお金がないということでバカにしてきた連中や社会を見返してやる。ぜったいに受かってやる。


■地獄の浪人時代 

6浪目(最後の決意) 


 6浪目ともなると24歳になる。これが最後の挑戦。全力でやる、ただとにかくそれだけだ。気がついたら、多少のことで精神を病んだりしなくなっていた。知らぬ間に強い精神力が自分に備わっていた。

 

 AO入試というのは、テストのように点数化し、客観視するのが難しいだけにはっきりした対策もよくわからなかった。これといった武器もなく、何を自分の強みにしようか改めて考えた。そして見つけたのが、「誰も体験したことのない経験」だ。

 

 これこそが自分自身の一番の武器だと考えた。お金がないということだけで、数々のことをあきらめ、我慢してきた。何度も悔しい思いや惨めな思いをした。精神も病んだ。何も手がつかないこともあった。こういった経験やそこから生じた感情を学問的に捉えようと考え、心理学を勉強したいと思った。心理学を勉強すれば、自分があの時なぜ、あのような感情を感じたのか、どうすればよかったのかなど、過去の自分を見つめなおすことができるのではないかと考えた。

 

 心理学は教育にも大きな影響をもたらし、それらをより深く理解するためには歴史的背景や国際的な視点も大切なのではないかと考え、それらを体系的に学べるのが横浜市立大学だった。


そして​「合格」を手にした!

 添削してくれる人や練習してもらえる相手もいなく、常に自己の内面と対話し、ボイスレコーダーで録音し、対策をした。圧倒的に不利な状況だったが、「想い」はだれにも負けない自信があった。今回は今までと違い、入学金も準備し、しっかり入学することができた。

 

 ここでそもそも横浜市立大学のAO入試というのはどのような形式なのかを簡単に紹介したい。

 

一次審査:A3用紙2枚の白紙に「今までどんな経験をしてきたか」、「今後どんなことを学びたいのか」を明記し、これに加え、英検2級以上か、TOEIC500点以上の資格を有している必要がある。

二次審査:書類を踏まえ、10分間のプレゼンテーションと20分間の質疑応答がある。

 

 合格者人数は少ないものの、センター試験と二次試験を受けるよりは敷居が低いように思える。しかし一方で数値化できないAO入試の対策は不安も募りやすい。


 ■精神的ダメージを乗り越えるために

 

 もっとも苦労したことは、お金のやりくりでも勉強のやり方でもなく、感情のコントロールだった。これを読んでいる人が浪人生(特に男子)であればなおさら実感してもらえるかもしれないが、10代、20代は異性に対する興味がこれでもかというほど強い。高校生であればクラスで友人との時間があり、気を紛らわす環境がある。


  しかし浪人生はそうもいかない。毎日毎日予備校に通ったり、自宅で勉強したりと完全に友人や社会生活から隔離される。もちろんある程度の交友関係を保つことは可能だが、一線を引き、勉強が最優先であることを意識しておかないと次の年も浪人する羽目になる。

 若さという情熱とエネルギーにあふれた年頃の人が、机にじっと座って受動的な勉強を1年間することは簡単なことではない。同級生たちはすでに進学し、新しい生活を送っている中、勉強一本ですごす日々のつらさやむなしさは体験した人にしかわからないだろう。

 一方で、1年くらいの浪人であれば、自分を強くする数少ない機会にもなる。10代後半という若さで、目標に向かって、全力で躍進していく経験は浪人生ならではの経験かもしれない。


 精神的にも不安定になり、異性への憧れが人一倍強くなった。アルバイト先にはもちろんたくさんの女の子がいて、大学生活を送っている。彼女たちは容姿も内面も輝いていて、一緒に遊んだりいっぱい話をしたいという欲望に駆られた。でもどこに浪人生だかフリーターだかわからないような男に魅力を感じる女性がいるだろうか。


「もっと友達と遊びたい」、「もっといろんなことをしてみたい」という思いが日に日に強くなっていった。常に心も頭の中もざわざわしていた。


「大学にいきたい。先生になりたい」という目標がどんどん遠くなっていく気がした。目の前のことや一日を過ごすことに時間が奪われ、感覚が麻痺していった。残ったのは人間が本来持っている三大欲求(食欲、睡眠欲、性欲)のみだった。


 ただ心のどこかで、「これを乗り越えたら一角の人物になれる」という思いがあった。

  中学生までの無気力で自堕落な自分がこんなに自分で動けるようになったのは教育のおかげだった。教育には人を変える力がある。そんな分野で自分も活躍したいという気持ちは消えることはなかった。

 

  本当にこれ以上は無理だと気持ちが押しつぶされそうになったら、「将来子どもたちに、『あきらめるな』、『希望を捨てるな』という立場になる人間がここであきらめてどうする!」と自分に言い聞かせた。しかしそれでも感情が安定することはなかった。ただそのざわつきをごまかすことくらいはできた。

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