独りぼっち「問題児」の19年② :暴れん坊sの一員

 暴れん坊s。まずは、「特に目立ったことのなかった」保育園時代の話。

 僕は京都府宇治市の生まれだが、父と母が離婚したため、母について母方の実家に送られた。もともと母は2歳上の姉、6歳下の妹と何かにつけて比べられ、ほぼ虐待状態で生きていたらしい。そんな母の、ささやかな反抗だったのだろうか。進学させられた大学を1年の夏に中退し、そのままデキ婚。当時母は19歳だったという。丁度、今の僕と同じ年だ。

 1歳半で実家に住まうようになり、・・・・実家は、寺である。僕のおじいさん:母の父親は僧侶で当時存命だったがその後すぐに亡くなり、跡は母が継いだ。そして継父がやってきて、もともと実家に同居していた祖母と母が大喧嘩し、実家を出て同じ町の中に新築の家を建てる。保育園はそのまま同じところに通い続けた。が、その家庭環境うんぬんなどに関わらずとも、既に保育園児であったころから僕の「問題児」っぷりは遺憾なく発揮されていたのだろう。相当色々なことを、やらかした。

 お遊戯室で以上児みんなでお昼寝をしているところで、他の子たちの頭をまたぎながら鬼ごっこ。

 アスレチックは正規の使い方なぞ知らん。

 プールに飛び込む。

 紙芝居はおともだちと喋る時間。

 etc…


 とまぁ、こんなラインナップである。その他、他をたたいて泣かせる、命令する、などなど後々僕が苦しむことになる「友人関係をきちんと築けない」ことの兆候は見え見え、どころかスケスケ、だったのだが、この時の僕は、まだとある理由によりそれが「異常な程である」とはみられていなかった。・・・だから発達障害と分かったのが相当遅かった訳だが、そう。

 周りの子たちも同等レベルで騒がしくやんちゃだった。

 のだ。

 しかも、当時僕がつるんでいたのは相当元気な野郎たち。鬼ごっこもした。アスレチックから飛び降りた。プールには飛び込んだし、廊下でかけっこも余裕。皆、周囲もやんちゃだったから。これで僕の、冷静に今の保育士が見たら明らかにおかしいと即断するであろう数々の奇行は、いい感じにカムフラージュされてしまっていたのだ。

 という訳で僕は、「暴れん坊sが大勢いた学年の、上位暴れん坊」という認識の元卒園式を無事に迎えることができ、その後学区内の通常の小学校に通うことも決定していた。


 小学校入学後、僕は初めて人と言うものが全く信じられないのだと、頭に強く叩き込まれることになる。

みんなの読んで良かった!