父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(最終回)

前編: 父さんにもしものことがあったら読んでほしい手紙(10)


「6センチ、6センチやよ」

執刀する外科医、麻酔科医、臨床工学士らに囲まれ、麻酔ガスを吸って一瞬に昏睡してから7時間が経っていた。母さんの声が聞こえたとき、父さんは混濁した意識の中で胸腔鏡下手術が終わったことを知った。

「うまくいったって、先生が言っとるよ」

すぐ近くに母さんいることがわかった。

父さんは目を開けることはできず、何か言おうとしても口を動かすことができなかった。悪性腫瘍が6センチならばステージⅡなのだろうか、5年生存率は何年になるのだろうかと、まとまらない思考回路を探っている内に意識が薄らいだ。

どれくらい時間が経ったのかわからない。

「きれいに取れたで。きれいに取れたでな。」

今度は外科医の声が聞こえた。

集中治療室の天井が見えた。

胸にどすんと鈍い痛みを感じる。

まったく体を動かせない。無性に痛い。手足をばたつかせることも、身じろぎすることもできない。これまでに経験したことのない激痛だった。きれいに取れたとは、右肺の上葉を摘出したということだった。

「痛いのは必ず治るで。日にち薬やでな。」

外科医の声が遠くなっていく。

それからまた数時間が経ったようだった。

唇がガサガサに乾いていた。

「お水、飲みますか?」

看護師が水差しを父さんの口に入れてくれた。

「自己血の血を左の太ももの動脈から体の中に戻しています。もう少ししたら、その針を抜きますね。」

いくつものチューブが体のあちこちに差し込まれていて、たくさんの医療機器につながっていた。右の肋骨の間には太いチューブが胸の中に入っていた。

「今は腕や脚にいろいろなものが入っていますけど、朝までに少しずつ抜いていきますからね。」

二度目に覚醒したときよりも意識は戻っていた。

けれども、痛みがいっそう激しくなっていた。

首を動かすことはできた。それでも集中治療室の天井とまわりの医療機器しか見えなかった。右の肋骨のあたりが、重く、鈍く、痛い。

思わず顔を歪める。

「痛いですか。痛み止めの点滴をしていますからね。」

胸がムカムカして気持ち悪い。

痛い、痛い、痛い。

夢なのか、白い透き通った砂浜を走っている自分を見た。若い頃の妻の手を引いて、もう一方の手にはまだ幼い頃の一人娘を抱いて、逃げ回るように走っている。この幻のような光景を何度も何度も繰り返し見た。

そのとき、

「黄昏泣きって言うんやよ。」

母さんの声が聞こえたような気がした。赤ん坊の泣き声も聞こえてくる。生後間もないサチを、母さんがあやしているようだった。

「黄昏泣きは、生きている証なんやよ。」

母さんが赤ん坊のサチを抱きあげていた。二人の淡白いシルエットが見えた。生きているという言葉と泣き声が、リフレインのように聞こえてきた。

生きている。

家族に救われている。

このことを実感する。

だから、強く生きなければならないと思う。

全身麻酔から覚醒していく一夜に、父さんは、母さんとサチの幻影を見たんだ。そして、家族の新しいストーリーを、渾身の思いを込めて、これからまたつくっていくことに決めたんだ。

痛みが微かに和らいでいく。

母さんと、サチと、そして、黄昏泣きに癒されて。

みんなの読んで良かった!