独りぼっち「問題児」の19年 : 中学と軽犯罪とゲームの始まり


 ぶっ壊れていたなぁ、とは、あの頃を思い返すとやはり思う。そして未だに僕を守る解離性健忘のおかげで、きっかけは覚えていない。ただ、小学校5年生のあたりから。だったと、思う。

 一応そんなに深く触れることは避けておくが、あの地味な軽犯罪も積み重なれば相当のものだったとは思う。学校から帰って、母親が帰ってくるまでに少し時間があったので、その間でお店に行って、持ってきて、とそんな感じだった。

 感覚としては。「こうすれば、お金なんていらないじゃないか。取っていき放題だもの」と、そんなだったと思う。ヒヤリハットがなかった訳ではないが、麻痺した感覚にストップをかけられるほどではなかった。

 お菓子、ジュース、アイス、文具。取るに足らないもの、だが確実に僕の正気をむしばんでいったもの。中学卒業くらいまでは、続けていたと思う。Max酷かった小学校の時は毎日だった。罪悪感は欠片も沸いてこず、悪いことだとも思ってはいなかった、と思う。多分。

 無論、今から考えれば何やってんだ自分、とは思うが、それが僕のオリジナルな倫理観念故なのか、それとも社会で少しだけ学んだ経験則由来のものなのかは分からない。・・・やってはいけないこと、という意識は薄いから、恐らく後者。まぁ、名前など必要ではないからいいのだけれど。

 そんなこんなで随分と荒れた(?)二重生活を送りながらも、僕は中学生になった。そしてまさかの1年目にして級長に推薦で任命されることになったのだが、相変わらず人間関係、というか普通の人の中にうまく溶け込むことなどできる訳もなかった。変に気が強いのが幸いしていじめられるということはなかったが、陰口はオンパレード、そしてお決まりのコースかと突っ込みたくなるほどに教師とも上手く行かない。成績は悪くなかったが、それは母親からの暴力交じりなラブにあふれた指導のたまものだったので、色々と痛かった。・・・・学校が変わろうが、「変人で言葉のキツい威張り散らす」僕に居場所はなかった。


 2年生になった。僕の通っていた中学は1年生から2年生に上がるときに1度だけクラス替えがあったので、・・・まぁ3クラスしかないが、それでもある程度クラスメートはシャッフルされた。だから、一つ試みてみることにした。全くしゃべらずに、1年間やってみよう。何かリセットされるかもしれない。

 居場所は新しく、保健室に作った。とにかく教室にいないようにして、人付き合いを避けた。比較的1年生の頃の大惨事を終えても仲良くしていた野郎とも、全く喋らないようになった。発言も控え、空気に徹した。今までは何にでも参加したい!仕切りたい!な僕だったが、いざ人付きあいをやめてみて、適当に流されるのがいかに楽か、ということを知った。真面目に生きる気力、人付き合いをする意味、そんなものを見失ったりもしたし勉強もさほどせず遊びほうけては母親に殴られ蹴られはしたが、確実にあの1年は、僕の今までの19年の中では、数少ないハルシオンデイズだった、気がする。


 そして、翌年。3年生に上がった僕は1学期の前半をほぼ2年生のころと同じように過ごしたが、それでも件の「リセット」の効果か、少しずつクラスメートからも話しかけられるようになっていた。だが、決して自分からは話しかけない。話しかけられたときのみ、答える。女子には敬語。苗字にさん付けで呼んだ。それくらいの距離がむしろ、心地よかったのだ。

 

 だが、とある一冊の本が、僕のすべてをひっくり返した。


・・・結果として、その本をきっかけに始めたゲームが僕の人付き合い観をもう戻れないところまで破壊することとなってしまうのだが、7月ごろだっただろうか。たまたまよく読んでいた作家の新作が、とんでもない思い付きを僕に与えた。2年生のころからクラス編成は変わっておらず、故に仲良しグループやらいじめられっ子などのクラス内ヒエラルキーが既に確立しているこのクラスならば。あの戯言を言う担任に一泡吹かせてやれるのではないか。


 胸が躍った。とにかく、僕は担任の女教師が嫌いだったから。アンタが日々誇らしげに堂々と口にする、「うちのクラスはいじめなんかなくて、団結力があるとってもいいクラス」っていう言葉、ひっくり返してやるよ。


 まさに「狂乱」と呼ぶにふさわしかった中学3年生時代、鮮明に覚えているクラス中を巻き込んだあのゲームについて、次は語ろうと思う。


みんなの読んで良かった!