いじめ経験を基に、一つだけ知っておいてほしい事。

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中学2年生の冬、眼鏡をコンタクトレンズにした僕は急激にモテ出しました。

よっぽど眼鏡が似合ってなかったのでしょうか(笑)

急に女の子からよくしゃべりかけられるようになり、男子友達も次第にかっこいい人ばかりに。

ですが男子からいいように見られないのは当然です。


実はこの話以前の作品の続き、というよりエピソード0といったところでしょうか(笑)

映画「湯を沸かすほどの熱い愛」にて娘がいじめられている姿を見て、こんなにも見苦しいものなのかと思い今回投稿しました。

まずいじめ経験の顛末を書きます、これだけでもお楽しみいただけたらと思います。


3年生になってすぐ、クラスでも一番の不良男子から体育館裏に呼び出され「お前、俺の陰口を言っていたらしいな…」と言われ、翌朝クラスの男子全員に話しかけても無視されるようになりました。

一週間経つころには学年の男子のほとんど、仲の良かった人たちは全員に無視されました。


朝登校して席に座ると耳元で「死ね」「気持ち悪い」を言われ、消しゴムのカスを頭に振りかけられたり、男子の笑い声がすると大体みんなで僕を指さして笑っていました。

中学生の自分にはとても辛い毎日でした。

学校の給食の時間もちょっとでも席を外して帰ってくると弁当箱がひっくり返されていたり、その後体育で使うシューズを隠されたり。

3年生の初めまでは仲が良かった男子に誘われ、生徒会役員もやっていたので昼休みは生徒会室への出席が毎日ありました。

仕事でもあればよかったのですが、毎日特にやることもなかったので他の役員の男子からは色々言われていました。

あと近所のコンクリート壁に名前と死ねという文字をスプレーで大大と書かれていたそうでした。

毎朝学校に行きたくなかったです、でも逃げるとか立ち向かうとかではなくなぜか、毎日学校に行かないといけないと思っていました。

元々勉強と学校が大嫌いだったので、いじめられようが学校に行きたくないのは同じことだったせいかもしれません。

風邪以外では一日も休まなかったのも、勇気や強さではなかったです。


先生からも一緒になっていじめられなかったことは唯一の救いで、親にも何の抵抗なく話しました。

よくいじめ被害者が言う「誰にも迷惑をかけたくない」という気持ちは理解できませんでした。

親に対しては、俺をこんな風にしてしまったのはあんた達のせいだからなぁ。と少し思っていました(笑)

その後は他にいじめの標的を見つけたのか大きな危害はなく、学年行事で他クラスと交流するときは、男子からは嫌われ、ペア作りはいつも余りにされるくらいでした。

恥じさらしもいいところで、段々気にならなくなっていきました。

卒業直前になるころには直接いじめて来た不良男子を除いて、クラスの男子とはたまにしゃべるくらいには関係が戻っていました。

あとから聞いた話ですが、これは女の子たちの働きかけが大きかったようで僕をいじめるのをやめるように言ってくれていたそうでした。中学生ながら本当に優しくて助けられました。



・以前のように元通り仲良くなりたいとは思わない。

・自殺しても楽になれるわけではない。死後の世界なんてものがあるとしたらきっと、今より辛い世界なんだろう。

・学校以外の場所に、優しい人たちがいてくれる。


この3つをずっと胸に決めていました。

実は自分の住んでいた場所から数kmの野原で1つ年違いの男の子が焼身で自ら命を絶ったニュースが流れ、自殺についてよく考えていましたが、することはありませんでした。

最後のが一番大きかったかもしれません。実は父が講演会を開いているのによく付いて行き、そこで優しいおばさん方に優しくしてもらっていました。

気付いたらその内の一人の旦那さんが、ものすごく悲しそうな顔でこっちを見ていた話はまたいつかの機会に(笑)


自分がいじめに対して、警察沙汰に出来るようテープレコーダーを持ち歩いていたりと、抗戦準備をしていたせいなのか少しゾクゾクするような時さえありました。

悟空が言うところの「ワクワクすっぞぉ」です(笑)

みんなの読んで良かった!