曲がった左手の親指

次話: 曲がった左手の親指 その2

生き方を変えたキッカケ

過去、何度か日記をつけようとしたけど、結局続かない。

そんな私が、ストーリーに残せるのかわかりません。

でも、一年前に始めたフェイスブックをキッカケにして

それまで知らなかった世界、その世界の人を知り、その

中でこのストーリーの事を知り、とにかく書いてみよう、

そう思い、日記がわりに思った事を書いてみます。


今の仕事

今年の4月から助成金センターという所で働き始めました。

厚労省労働局・職業安定課の一部門です。

内容は雇用関係助成金に関わる、事業主等からの申請受付、

審査などの業務、それに関する事業所訪問。

事業主支援専門アドバイザーという立場で、助成金に関する様々

の問合せに対してアドバイスする事が主な仕事。

2年前まで携わっていた物流の仕事とは180度違う仕事。

それまでの30年、物流という物の保管、移動、付加サービス等の

システムを使い「モノ」を中心に扱っていた仕事から、助成金と

いう制度を通じ「ヒト」に関わる仕事に。

最終的には人に行き着くのは同じだけど、常に窓口や電話で直接

人と接する仕事をした事が無かった私にとって挑戦でもありました。


本当は人に関わる仕事がしたかった

物流の仕事を30年してきた。途中何度か転職し、業界は違えど一貫

して物流部門の仕事。ただ、その転職の度、様々な立場を経験して

違った視点で仕事をみてきた。ただの倉庫係から、現場責任者、

係長、課長、そして部長。


平社員として現場で汗かきながら、肉体労働中心だった20歳代。

会社の意向で部門が外部委託になり、リストラの一貫で営業職に。

でも上手く仕事に馴染めず、現場の仕事がしたくて33歳で転職。


転職先で、現場責任者として現場運営をしていた30歳代。

規模拡大に伴い、現場から離れ、徐々に管理的仕事仕事に。

本社スタッフとして西日本の拠点に移ったものの、会社の本音に

ブラックさに嫌気がさして退職。もう物流の仕事は嫌だと思った。


しばしの休息後、職業訓練でプレゼン習得しながら就職活動。

そして、幹部候補として再び物流の仕事に。

挑戦者の気持ちでいた自分と、即戦力として課題解決を期待した

会社とのギャップに苦しみながらも、成果が出る喜び、成果報酬

の満足感、成功体験。と同時に、無理していた歪みが心身に現れ、

ある朝、起きれなくなった。そして一年の休職。

通院しながら復帰して、元に戻るのに3年。

いろんな事があった40歳代だった。


その間に会社は何度か合併、吸収され一部上場企業になってた。

安定した企業に勤めるサラリーマンとして、安定した収入を得た

生活を送る、平凡な50歳代の予定だった。



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曲がった左手の親指 その2

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