言葉にできない怖さは彼が知っている。

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田舎に帰るととにかく疲れる。ご両親と妹夫婦、ともにいい人だ。大人になると、わけのわからないとこでとても気を遣う。


 私は、その小さな隙間に幸せを見つける。その所は誰にも言わないひそやかな場所だ。妹の亭主が私のためにイカをつってくれたり、家族の愚痴を言ってくれたり、それが私には安心に代わる。


とにかく、生きていくうえで、重要なことはそこにあると考えさせられる。


 障がい者を持つ家族として、最先端でいたいこともあって、自分の会社をなげうってでも大学へ通い、真実を知ろうと努力してきた。



 これからは、セミナーなどを開いて障がい者の家族を支援していきたい。



 怒れない親


 妻が昼ご飯を食べているとき、長男を便所に連れて行った。その前に(サイン)出していたことに、私たち夫婦は気がついていた。


 ご飯を食べるたびに、下唇にできた口内炎が痛いため、長男はいらいらとしていた。


 妻が便所から長男と席に帰ると顔に傷がついていた。


 便器に座ることにどうやら恐怖感があるようだ。フェリーに乗って便所に行き、用を足すと流れる水の勢いの音にすごく反応していたし、手を風で吹き飛ばす装置の音からは反対へ逃げていた。

 フェリーのエンジンの音などに強く反応していた。


 妻がこのままではいけないと思い、「大丈夫か?」の人声もかけることができなかった。

 私は妻にこう告げた、


 「怒らない」「怒れない」ではだめ。

 多かれ少なかれ、支援学校へ行っている限り、というか、学校という場所では、しゃべることが苦手な子が安心して生きる時間を確保しなければならない。そのために家庭での訓練は重要である。


 家庭で行うべき、家庭教育は、彼が他傷をしないような彼との距離感。

 理解できるように説明する方法。


 教える工夫など、多面的な方向から考えなければならないと伝えた。


 いつも息子が可愛いからといって、アプローチがいつも一緒なら、学ぶチャンスを削ることになる。


彼の将来を左右すると私は考える。


本当は先に、「だいじょうぶ?」  と聞くべきだったと 後で反省はしたが。


頭ごなしに言うのではないが、良いことをした。

できた。

 喜びの瞬間は大げさに喜んであげること。


悪いことをした。

 怒られる悲しみの瞬間まで、人一倍大人である我々が精一杯に

表現してあげることはできないだろうか?


言葉にならないということは、聞こえ方も医師にさえ

わからないおおよその見解であると思う。そうなってくると、「耳」に対しての配慮がいる。



幾度も病院は人8倍くらい連れて行ってきた。しかし、限界があるのは仕方ないだろう。


カードでのアプローチは将来的に暮らしていくうえで、カードを持って生活していくか?

といえば多少の疑問も私は感じるし。


表現を発信するのも、受けるのも彼自身である。


 少し大きくなってきている、息子はできないわけではないと信じている。発達の速度が周りと違うだけだ。


 3歳まで歩くこと、つかまり立ちさえできなかった時、医師は「歩けるようになりますよ」


 そう言っていた。

「無理じゃないか」私はそう思いながらあきらめることはしなかった。


 途中、涙も出てきたし、鼻水も出た。

そう感じながら、ぎっくり腰になるまで、家の周りを彼の腰を支えて何周も歩いた。



人一倍、できないことがあるおかげで、何か一つできるたびに、

家族全員で大きな感動と喜びを手に入れてきた。


悲しみは結局自らが決定する。



大きなくらい闇の中からでも、ほんの少しの光を探す気持ち


 決して忘れてはいけないと私は考えている。


今いるその場所から、一粒の光を見つけることができる事がある。




そして悲しみを表現することなく、毎日を歩んでいかなくてはと感じていた。


当時はそう考えてきた。


しかし近頃


ん、違うな。と感じることがある。

私は悲しみを表現して、いきて来なければどうしようもなかった。しかし言葉にできない彼こそが今も暗闇の中でささやかな光を探しているのだろう。


追伸


 暗闇を共に歩き、笑顔になれる瞬間を一緒に探していこう。
















 










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