3月の1話 シーシック

前編: 2月の2話 目医者に行くことに
後編: 3月の2話 シーシック その2

 とうとう、念願の、地中海クルーズ(海上調査)のときがやってきた! ボスが私を調査員の1人に加えてくれたので、旅費も、宿泊費も、食事代も、全部研究所が負担してくれる。まるで民間企業のような対応だ。日本の研究所もこんな経費の使い方ができるのだろうか?ともあれ、憧れのマルセイユ、地中海へいざ!

 今回のクルーズ、3日間の時間を取っていた。なぜなら、天気がどうなるか分からなかったからだ。風が強い、いわゆる時化(しけ)だったら、船は出せない。しかも、雲が邪魔すれば衛星画像も得られない。だけど日付は、3ヶ月程も前から予め決めておかなければならない。メンバー全員にスケジュール調整しておいてもらわなければならないからだ。直前の天気予報では、1日目が南からの風が強く波が高く、後の2日は徐々に凪いでくる、ということだった。

 私は、乗り物酔いに弱い。家族で車で出かけるときも、後部座席にいても助手席にいてもいつも酔いと戦っていた。学校のバス旅行もいつも酔い止め薬が必携だった。しかし今回、薬は用意してこなかった。理由は2つある。1つ目は、経験上、自分は船にはあまり酔わない、という自負があったからだ。船の気持ちになって、一緒に揺れてればいいんでしょう、などと余裕をかましていた。2つ目は、異国の薬を体内に入れるのが怖かったからだ。しかし、これらは甘すぎる考えだったことが後で分かる。

 初日は朝6時半に集合だった。まだ真っ暗な中、車で船着場まで移動。薄暗い中、船に調査のための機材などを運び込み、船内の適所に設置する。6人の研究者(学生含む)と、船長、クレーン技師など、5人の船の技術者がいた。作業の邪魔にならないようにしながら、何か手伝えることはないか、何か勉強できることは無いかとウロチョロ。そうこうしている間に夜明け。昇る太陽と、マルセイユのピンク色の岩石を船首から拝んだ。

 7時半ごろ、前触れもなく出港。まだのんきに船首にいる私を、クレーン技師さんが呼びに来てくれた。

こっちに来て、僕達と一緒にいた方がいいよ

 フランス語だったけど、たまたま分かった。

 昨日の夜と今朝、海岸線を車で走ったときに、ボスが「風が強い」、「波が高い」、と不安を口にしていた。そのときは波高にして 30 cm くらいだっただろうか。私はどの程度が波が高いレベルなのか分からず、頷くしかできなかった。船着場では特に波がないように見えたが、外海に行くと違った。船着場は、波止場というだけあって、波のエネルギーが伝わってこないようにブロックで海水の入り口を狭くしていたりするから、波が来ないのだ。狭くなった入り口の奥側には、既に白波が見えていた。

 最初は全然気付かなかったが、徐々に、でも確実に、船が左右に揺れ始めた。最初は皆で2階の船長室にいたのだが、吹っ飛ばされて、機材にぶつかって壊してしまうんじゃないかと思うほどの揺れで、必死で周りのものにつかまっていなければならなかった。船長室の小窓から波の様子が見えるが、こんなに左右に揺れているのに、船というものは進むことができるのか、とびっくりした。あまりに激しく揺れるので、2階にいるから余計揺れが増幅されるんじゃないだろうかと思い、また船長室は密閉されているから息苦しくて酔いそうな予感がしたので、足元を気をつけながら1階に下りた。

 1階では、思ったとおり、まだ揺れは激しくなく、ちょっと楽しい遊園地のアトラクションのようだった。何人かの研究者達が、船尾の鉄柵に背中を預けた状態で、立ち話で談笑していた。ボスも同じ場所にいて、私はボスの横の空いている場所に陣取った。ボスと何か話そうかと、ちらりと横を見ると、なんだか不機嫌そうなシリアスな表情をして、じっっと斜め下を見つめている。話しかけられる雰囲気じゃなくて、私も、背中を鉄柵に預けて、波の気持ちを読むことに努めていた。

 ほどなくして、ボスが突然、その場を離れ、船のサイドから海側に向かって屈み込んだ。「えっ、もう!?」と思うような早い段階で、ボスダウン。後で聞いたが、ボスは船酔いに超弱いらしい。だからずっとシリアスな顔をして、船酔いに抵抗しようとじっと格闘していたのだな、と合点がいった。(でもボス、斜め下をじっと見てたら、酔い易いですよ! )。後で、ボスに聞いたら、これが僕の問題なんだ、と残念そうに言っていた。かわいいとこあるんですね、ボス、とつい思ってしまった。女子がギャップに弱い、というのは間違いなく本当のことだ。

 外海に行くに従って、確実にアトラクションが半端ないレベルになってきた。私は相変わらず、波の動きを注視しながら、波を受けて揺れる船の気持ちに同調するように、左右の足を交互に屈伸させて、どんぶらこ、どんぶらこと念じていたが、だんだん、そんな悠長なことは言っていられないような激しさになってきた。時折、私の目線と同じ高さに、コバルトブルーの水の壁がそそり立つ。その傾きに合わせて傾く船体。こんなに動かれては、身体をまっすぐにコントロールするだけで精一杯になる。海は、まるで、揺れる大地だった。

 このとき私は陸地の有難さを思った。地球全体では、海が70%、陸地が30%。揺れる大地の方がよくある場所で、揺れない大地(陸地)の方が特殊な場所だ。陸地がじっとしているから、私達は、そこへ建築物を作ることができるし、生活も営める。ということは、何かを育むには、じっと動かない母体が必要だということなんだろう。こんな風に考えると、私達人間は、地球の中でも特殊な陸地という場所に、身を寄せ合って棲息している「何か」だ。人工衛星くらい空高いところから見渡せば、私達はなんてひそっとした存在なんだろう。そんなひっそりとした存在が、化学薬品を海に放ち、木を伐採し、都会から熱を放出し、地球という大きなものの物質循環のバランスを脅かしている。自身のことながら、人間の持つパワーは思いがけず大きい。

 ――それにしても、もう少し、波の力を逃がすような船に設計できないものなのか。それと同時に、こんな大きな(ボスに言わせると小さいらしいが)鉄の塊を、本当に木の葉のように揺らしてしまう波の力、水の重量に感じ入った。だから、船のロープはめちゃくちゃ太い頑丈な作りなのだろう。波のエネルギー(水の質量)といい、風のエネルギー(空気の質量)といい、受ける力の単位が、陸地の感覚よりも桁違いにでかいのだろう。


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3月の2話 シーシック その2

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