24歳ニートの僕が、謎にインドネシアに行って社長になるまでの話。前編

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■日本を離れ、バリ島、そしてジャカルタへ!


「ビッグになってくるわ!」と周りに言い放って日本を出国。




何が必要なのかもわからず、何を準備して行けばよいのかもわからず、保険も加入せず、観光ビザで入国。



何をするかもわからない、どこに住むのかもわからない、メンターと決めた人が本物なのかもわからない、自分が何をしたいのかも、これからどこに向かうのかもわからない。





でも、小さくてもいいから、何か一つ成し遂げるまでは何があっても日本に戻らない。そんな固い決意をした。



しかしメンターであるTさんからの指示は、


Tさん
・日本の歴史を勉強しろ

・インドネシア語を覚えろ


この2つだけだった。




とりあえず昼間はバリ人とたくさん話して、夜は風林火山の大河ドラマを見て日本の歴史を勉強をすることに。


しかし、頑張ってバリ人にインドネシア語で話しかけても、バリ島は日本語を話せる人が多すぎて、語学の習得がなかなか進まない。

そして何より、バリ島は楽しいリゾート地なので、本気で働いている人はあまりいないのだ。




ここにきてやっと気が付いた。

なるほど、僕は日本でいうところの沖縄にいるのか。


東京はどこだ、東京は。



とりあえず「インドネシア 首都」で検索。


もしかして:ジャカルタ





人生をかけた大勝負、やはりここは首都ジャカルタへ向かうべきだろうということで、Tさんと話し合い、3日後、一緒にジャカルタに。

バリ島のカラッとした爽やかな空気とは違い、蒸し蒸しとしたどんよりな気候。


一瞬で住み心地の悪さを予感させた。





中心地に近づくと、高級車やモール、高層マンションがたくさんあった。

一歩裏に入ると、今にも潰れそうな家や、スラム街がたくさん。



なんなんだ、この街は・・・・・・。


この時すでに全財産が150万円を切っていた僕は、一刻も早くホテルを出るために家探しをはじめた。




数件見た中から、1番安い物件に決定。光熱費は別で月6.5万円。



ここで大きな落とし穴、なんと1年間の家賃を前払いしなければならなかったのだ。ということで約78万円を支払い、更に敷金1カ月分も払って、合計約84万円の出費。


残金約50万円。





「1年分の住居は確保できたな!」と無理やり思うことにしたのだが、ここで更なるトラップが。


タクシーは高いからバイクに乗れ!というTさんからのアドバイスで、バイクも購入することに。


僕、道も知らなければ免許もインドネシアで持ってないのですが・・・・・・

と聞くと、


Tさん
余裕や。


と一言。



僕、保険も入ってないんですけど・・・・・・


と続けると、

Tさん
気ぃつけや!


と一言。




そもそも僕の観光ビザではバイクを購入することもできないので、知人の名義を借り、中古のYAMAHAミオを10万で購入。


これで残金は約40万円・・・・・・。



メンターTさんはここでバリ島へ戻るという。

来月ジャカルタに来るまでに商売のネタを見付けておけ!という放任主義っぷりを発揮し、踵を返していった。


アパート初日の夜。



なにもかも新しい場所でいろんな手続きを済ませ、疲れ果てた僕はぐっすり眠る・・・はずだったのに、朝4時半に不気味な音で起こされた。

音の正体はイスラム教のお祈り。



1日5回ほど鳴り響くお祈りの音にも3日で慣れた僕は、インドネシア語の勉強をスタートした。


 

現地の子どもたちと一緒にご飯を食べたり、モールに遊びに行ったり、無駄な時間を過ごしているような日々でも、3カ月も続けると、なんとなくではあるがインドネシア語が話せるようになっていった。



その3ヶ月間は、言語が通じないストレスから日本語で会話をしたくて友達と1日中電話していたり、インドネシア語の勉強と自分に言い聞かせて、海賊版の日本のドラマ(インドネシア語字幕)を見まくったりと、まぁ色々あったのだけれども、インドネシア語で少しでもコミュニケーションが取れるようになったことがとても嬉しかった。

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