とある不思議な出会いが一人のどうしようもない鬱屈な人間を変えてくれた話① 「とある一人の小さな存在は生きるのに必死だった」

とある不思議な出会いが一人のどうしようもない鬱屈な人間を変えてくれた話① 「とある一人の小さな存在は生きるのに必死だった」


複雑な問題を多数抱えており、自身の人生や未来に絶望しきっていた僕。

”とりあえず何とか今を生きている”という状態で、心に穴が空いたまま、ただ只管時間を消費して日々を過ごすだけだった。

そんな僕にも、とうとう人生を変える出会いが訪れる。

その出会いこそ、僕が人生で一番大切だと心から思うものとの出会いそのものだった。本当の生きる意味に気付かせてくれた。そして、何もかも真っ暗だったどうしようもない人間が、自分にも実体と命があってちゃんと生きているんだという事を実感し、自分の人生と真剣に向き合うようになり、”生きるとは何か”を日々追求するようになったという話。

音楽が大好きな僕に、まるで音楽の神様からこの世で一番素敵なプレゼントが授けられたような、そんな奇跡のように感じた出来事。

僕は、自分の中だけでも、この事を運命だと思い続けていたい。


※注意して欲しい事※

・細かい情報は伏せている物が多いです。そこは伏せるなよ、と思わせてしまったら本当に申し訳ないです。話の主軸は伝わるように心がけました。

・”このような人間が、その出会いにより、こう感じ、こうなった”という事を伝えたく、どういう人間かここで暴露出来るだけ書こうと判断した結果、出会うまでが非常に長くなってしまいました。ご了承下さいませ。

・自虐表現、鬱的思考、自己観念、重い話が多く含まれます。

・表現が大袈裟に思われるかもしれません。僕は、どんなに大きな表現をしても足りない程大切な事は、ついつい何もかもオーバーにしてしまいがちです。しかし、自分の正直な気持ちを切実に表した結果です。どうかお許し下さいませ。

それらがあっても構わない方は、どうぞ、こんな僕の話で宜しければお付き合い下さい。

前置きが長くなってしまって、誠に申し訳ございませんでした。


・過酷な日々に抗おうと足掻いた自分

子供の頃から体が弱く、皆と一緒に遊ぶ事が出来ずに、友達も出来ない。人と一個人として話すのも非常に苦手だった。変わった子だからと距離を置かれ、挙げ句の果てに家にも学校にも居場所は無く、孤独を感じる毎日。人と上手く関わる事は、全く出来なかった。人間は怖いし、いつ裏切るかわからない。誰かを信じるという事が出来ない。だけれど、物や動物、自分の世界は僕を裏切らない。だから人間の友だちなんていらない。そう思うようになり、学校では一人を満喫していた。

それが自然とできるのも低学年まで。意外と年齢が低い方が、人見知りとか恥ずかしがり屋とか一人遊びが好きとか、そういう理由で見てもらえて楽だった。でも、高学年ともなれば話は別。大きくない小学校だったので、六年間1クラスで顔ぶれもほぼ一緒。それがまた災難だった。周囲は常に決まった誰かと一緒、だから僕は益々浮く。そして変に生意気になりだす奴らばかりだった。僕への悪戯や意地悪も、段々と本格的な嫌がらせ、虐めへと発展した。僕が信頼していた教師は全員転勤してしまい、高学年の時のクラス担当は評判最悪のクソ教師になってしまった。当然僕の声など一切届かず、虐めていた側の胡散臭い捏造話を馬鹿教師は完全に信じ込み、いつも僕が悪者扱いされて理不尽に怒鳴られていた。身体が弱い事や、家庭環境問題についてもちっとも理解が得られず、何故か僕が悪い事にされた。

普段は僕に優しいようなそぶりを見せてくる一部の連中も、実は主犯格と仲が良く、僕に直接手は出さずとも裏でコソコソしていた。現場を見ても見ぬフリ。僕はいない者と同じ。大勢の前では絶対いい子ぶる同級生も、僕以外には優しい教師も、全てが本当に気持ち悪かった。僕はなんでここに居るんだろうと、ただ苦しむ日々だった。

この段階で、自尊心などとっくに失われた。抗っても無駄で、ここに僕の味方はいないんだ。それを強く感じながらも、僕は負けまいと卒業まで根気良く通い続けた。

幸い、成績だけは並以上に良かったので、それだけが唯一の学校に行く意味であった。担任以外の教師に成績について褒められる事で、ほんの小さな自信を保つしかなかった。

家庭環境の事は、詳しく思い出して文字に起こす事すら不可能の傷を覆ったので、ここでも詳しく書けない。

そして、そんなんだったにも関わらず、学校もあぁだった訳だから、12歳の僕はとっくに我慢の限界になる。それでも、ズルしたり逃げるようなマネだけはしたくなかった。ここで負けたら僕は弱虫だ、絶対に自分は幸せになる、クソ共を全員見返してやる。そういう強い熱意があった。悔しくて堪らない、だから僕は負けない。その為に耐えてきた。僕だって環境が変われば自分も変われる、必ず運命を変える。そう決意していた。

だが、それは叶わなかった。


・僕にとっての蜘蛛の糸は音楽だった


小学校卒業後すぐに、僕はとある病気を発症してしまった。それ以来、家の中でごく普通の事をするにも一苦労という不自由な生活を強いられ、初めは無理矢理中学校にも通っていたが、ついに学校どころか外に出る事さえままならなくなった。唯一の身近な味方だった母との関係にも亀裂が入り始めてしまう。小学校の同級生が誰も居ない中学校を選び、家庭環境も一変し母と二人暮らしになった、つまりもう帰らされる場所にも通わされる場所にも敵は居ない。やっと自分は幸せになれる、そう思っていた矢先の事だった。ああ、希望を抱いた直後に絶望のドン底に落とされるとはこの事か。ただでさえ未熟で多感な時期であるというのに、あまりにショックが大きく、僕は次第にストレスにも精神的苦痛にも肉体的苦痛にも耐えられなくなっていった。

乗り越えた先に待っているのは、また絶望。地獄の連続。本当にどうしようもない毎日。

しかし、そんな中でも僕を支えてくれる存在がいた。イヤフォンから耳に流れ込んでくる大好きな音達だ。布団から動けない時も、体調が悪い時も、悲しい時も、苦しい時も、辛い時も……音楽はいつでも優しく寄り添ってくれる。僕には、僕にしか聴こえない聴こえ方がある。例え同じ音楽でも、聴き方は十人十色だ。だから、僕に聴こえる音は、僕だけの物。そう思う度に、なんだか自分だけの秘密の楽しみのようで、それがとても嬉しくて、CDを再生する度心が弾んだ。

時には、僕が声に出して言いたくても言えないような思いを、様々な曲が代弁してくれた。いつまでも心に秘めて思っているだけで、訴えられないのは本当に辛い。だから、好きな曲が僕の気持ちを表してくれる、それだけで随分救われていた。

その音楽を奏でるアーティスト達は、当然僕を知らない。だから、僕を嫌いになる事も裏切る事もなければ、遠ざける事だってない。いつもどこか遠くから、優しく、熱く、僕にエールを送り続けてくれた。

音楽があったおかげで、僕は生きていけた。それくらい、自分にとって音楽とは本当に大切なものだった。


・15の僕と夢


そして15歳を迎えた僕は、少し吹っ切れた考えを持つ事が出来るようになった。僕らしさとは何かが徐々に見えて来て、周りと自分がズレていようが、周りにいかに変人と思われようが構わない。それでも自分の個性を殺したくない。他人は他人、自分は自分。そう素直に思えるようになった。

病気は治っていないし、まだまだ自由で生活らしいと呼べる生活は出来なかったが、前よりも外に出られるようになり、病気により亀裂が入ってしまった母との関係も少しずつ回復していった。精神的な面もかなり成長したおかげで、もっと広い世界の様々な人と関わりたい、様々な事を学びたいと思うようになった。

そして、自分の存在を、思いを、伝えたい事を歌にして、沢山の人に聴いてもらいたい。自分の中にしかない不思議な世界を、大好きな音楽という形で創り上げ、自由に表現したい。その気持ちが一層強くなった。気付いた頃には、”憧れ”だった音楽の世界を、本気で目指すようになった。その頃から、曲作りを始めた。歌詞もメロディーも自由自在に一から創り出せる事が本当に楽しかった。

「いつかは自分も……」そういう気持ちは幼い頃からあったが、幼い頃というのは、その職業に就くのがいかに大変か、その為に何をしなければいけないかというのもまだ完全に理解していない物である。それらを理解しても尚、本気で目指したいと思うようになった時こそ、”夢を追うようになった時”なのではないだろうか。持っていた夢が、目指す夢に昇格した時、僅かながら希望が見えた。

しかし、そんな一年も束の間。

僕は再び、鬱屈とした思考の渦に飲み込まれる事になる。


・希望はまたもや、絶望を招いた


中学を卒業してから、僕は度々大きな後悔をするようになった。中学生の僕は、まだあまりに知らない事が多すぎた。特に3年生になるまでは、現在の自分の事で手一杯で、先が曖昧にしか見えていなかった。とにかく、何とか死なずに今を生きる。それだけで必死だった。”中学生だから仕方ない”で済まされる問題ではない。高校に入学してまもなくその全てを知り、理解するならば、あと1年早くても良かった筈。そう、あと1年早ければ、もう少し良い今があったかもしれないのに。暫くはそればかりを考える羽目になった。

自分の未来が少しずつ見えるようになった15の僕は、「生きよう、そう決意したからには、まずはこの地獄のような人生を抜け出さねば」と、只管必死でがむしゃらだった。とにかくこの現状を、自分を変えたい。その一心だけで、勝手に計画を立ててそれを実行しようとしていた。それ自体は良い事かもしれないけれど、どう頑張っても無理な事もある。社会勉強が足りなかった。甘かった。僕のような問題だらけの人間には、やる気だけはあっても様々な壁により実行出来ない、という事の方が多かったのに。

志望高に入って、寮生活を始めよう、そこで自分を変えよう。その傍、バイトも一生懸命に頑張って、将来の為に頑張って貯めるんだ。一人で生きていけるようになりたい。母子家庭であり周りからの支援もない、母も健康な訳ではない。だから僕一人で何とかしなくてはいけない。でもきっとなんとか出来る、その気になればやれる筈だ。そんな風に現実的な問題も考えずにやる気満々になっていた僕は、後で馬鹿を見る事になる。


二度目の希望からの挫折


中学を卒業し、高校に入学した僕だったが、当然高校生らしい生活などする途方もない。

志望校は私立だったので金銭的に厳しく、諦める他なかった。寮生活も断念。

高校卒業後の為に、なんとか学業と両立しながらバイトに打ち込むことにした。全日制の昼間登校では当然働ける時間も限られるので、融通の利く学校を選んだ。だけれど、その先に待っていたのは、何の味気も無い、ただただ苦痛に耐えるだけの日々だった。

高校生とは名ばかりで、やっている事は社会人と変わりがない。僕は一気に大人の仲間入りをした訳だが、そうやって社会を知る内に、益々自分の置かれている状況や今までの経歴に異常さを感じるようになった。

異常な存在は、腫れ物扱いされ、受け入れられない。人間という生き物は、自分と明らかに違う存在、理解出来ない存在を警戒し、嫌悪し、退ける。やましい物珍しさからではなく、純粋に興味を持って心から知ろうとしてくれる人なんて滅多に居ない。世界の何処かには居るかもしれないが、少なくとも僕はそんな人、一度も出会った事がない。

自分は自分、そう生きるつもりだったのに……社会には法律や決まり事が沢山ある。それは時に理不尽な場合もあれば、不可抗力で泣き寝入りしながら従わねばならない事もある。僕は自由ではないんだ。

そりゃあ、僕にもお金や時間、健康の余裕ざあれば、ここまで大変な思いをしなくても良かったかもしれない。でも僕には余裕がない。何にも無い。だから只管働くしかなかった。

ところがまた、バイトがどれも酷い物ばかりだった。中には人間扱いすらされないような場所もあった。明らかにブラックだが、給与がいいからと我慢して居続け、結局心も体も壊れるという経験もしてしまった。後悔しても遅い。ついた傷は、元には戻らない。

待遇がいくらかマシだと思う場所もあったが、体力勝負の仕事だったので、すぐに息が切れ心臓が苦しくなるような自分では、全く役に立たず。あまりの自分の仕事の不手際さに耐えられなくなり、そこにたまたま辞めざるを得ないもう1つの事情も加わり、結果辞める事になってしまった。

その後も良い職場になど巡り合えず、トコトン人間関係に恵まれない。人間関係以外はまともな所も中にはあった。しかし、人間関係というのは僕にとって一番重要だ。多少仕事がキツくても、給与が安くても、にこやかな職場なら次も頑張ろうと思えただろう。仕事がラクで給与が高いなら、多少の人間関係は目を瞑ったかもしれない。けれど、そもそもラクな仕事なんてない。仕事にはチームワークが重要だし、話の通じない人間がいれば、自分までとばっちりを食らって業務が上手く行かない事なんてザラ。僕も出来損ないだから、人の事を悪く言う立場じゃないけれど。バイトをすれば同年代の気の合う友人が出来るかもしれないとか、いつかは自分に合った場所が見つかると思い込んでいた時が懐かしい。そんな理想は心身もろとも無残に壊された。

年齢からして舐められる事も多かったし、若いんだからと無理な仕事を押し付けられる事などしょっちゅうだ。それで体を壊しても、「若いからすぐ治る」。

誰の理解も得られない。褒めてくれる人は愚か、心配する人もおらず、中には僕が頑張っているかどうかすら疑う奴すら居た。

やれ仮病だの、サボりたいだけじゃないかだの。だったら元からバイトなんてしないし、何よりこの年でここまで働こうとしない。

ストレスや身体的疲労から元々病気がちだった身体に益々拍車がかかる一方だった。

どこもかしこも悪くなっていった僕は、もう耐えられなくなり、病院へ行き医者に相談した。

君は年の割に頑張りすぎたようだ、まだこんなに若いのによくここまでやった。少し休みなさい。

そのような事を言われた気がする。同じ「若いのに」でも、こんなにニュアンスが違うんだ。嬉しい場合もあるんだと、妙にホッとした。自分の若さを恨む事しか出来なかったけれど、若いからこそ褒められる場合もあるのかもしれない、そう思えた。

そしてドクターストップ的な物もあり、僕は暫くバイトを休む事にした。

それまでは働かない自分に対する嫌悪感が物凄く、こんなに社会不適合者で出来損ないのゴミクズなのにこの世に生かして貰ってる身だから、せめてアルバイトくらいしないと。というある種の洗脳のような自己暗示が自分を休める事を許さず、無理をしてしまった。だけど医者の助言でやっと納得が行ったのだ。それでも全く働かない訳には行かないので、前よりは回数を減らし、短期を転々とした。


・僕は生きているのだろうか


そして、バイトが無い時に時間を持て余していた僕は、元々異常に考え込む体質であったが、より深く様々な事を考えるようになった。

時間はあるが、お金が無い。健康でもない。そんな僕の楽しみは、只管考える事と、作詞作曲、歌、それから大好きな音楽を聴くこと。中学校の時の事を思い出す。いつも家で大好きなCDを聴いていた。好きなだけ歌っていた。やっぱりあの頃と変わらず、音楽という救いがあるおかげで、楽しいという感情が死なずに済んでいた。

やがて、黙って考えているだけでも仕方がないので、色々なドキュメンタリーを見たり、ブログや本を読み漁り、とにかく様々な人間の考えや生き様を色々な形で知るようにした。そしていつしか、自分の存在意義や人生、人間の在り方や社会について考えるようになり、様々な物事に対して僕独自の価値観や考え方を持つようになった。

ある日、僕は何年も前からモヤモヤと心に有った違和感に気付く。その正体は、「自分が生きているという感覚がない」というものだった。僕は果たして、本当に生きているのだろうか。そんな疑問が浮かびあがった。生きるとは何か。こんな生活が、生きていると言えるのか。僕が今居る世界は、夢?現実?僕は存在しているのか?

自分はただ、弱くてボロボロの心と身体を更に犠牲にし、孤独を感じながら、なぜか生き永らえている。夢はあるけれど、せめてその前にまともな生活がしたい。どんなに小さな幸せでもいいから、そういうものを感じながら夢を育む。本当はそうしたくて堪らないのに。

そして、眠った時に珍しく幸せな夢を見た時には、必ず思うようになった。このまま一生夢から覚めなければいいのに。そうすれば、理不尽な制圧を受ける事も、孤独を感じる事もないというのに。

あれこれ考えるのにも、もう正直疲れてしまっていた。僕は、思うように歌を歌っていたいのに。僕はこんなにも、大好きな音楽に囲まれて生きていきたいのに。誰かと一緒に過ごしたいのに。僕の大切なものは、どこにあるんだろう?僕の歌、必要としてくれる人は本当にいるのかなあぁ、僕も普通に学校生活を送ってみたかったなぁ。時間は二度と帰って来ない。普通に皆で勉強したり、遊んだり、くだらない事で叱られたり、一緒に笑ったり泣いたりしたかった。家では家族と温かな時間を過ごして、休日は誰かとのんびり過ごして……そんな風に理想を考えれば考える程、余計に苦しくなった。物凄い贅沢を望んでる訳じゃなくて、そういうごくありふれた幸せが欲しかった。どうして自分にはそれが無いんだろう?僕は何か悪い事をしただろうか。もしかして、産まれた事が間違いだったか。じゃあやっぱり僕は、生きてちゃいけない存在だ。

そういう、鬱屈とした思考が度々浮かんで、その度涙が止まらなくなった。それでも希望はどこかにあって、きっといつか変わる。何かが変わる。僕にも何かすごい事が起きて、幸せになれるんだと信じていた。そう思うしかなかった。

僕にも、何か奇跡が起きて欲しかった。

只管願い続けながら何も出来ない僕に、長い長い時間だけ着々と経過していった。

②へ続く

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