未来の扉の暗証番号

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夕方、スタッフで10%オフのチケットを配った。

『よろしくお願いしま~す』

ぼそぼそ言っていると受け取ってもらえないよ。笑顔で元気よくいかないと。

オーナーに諭された。

これはナンパだ!そう思って女性には声をかけ、男性には呼び込みだと思って声をかけた。

何回もくりかえすうちに慣れてきた。

受け取ってくれ、立ち止まった人にはすかさずお店の場所と特徴をアピールし、

『行ってみようか』と言ってくれた人にはお店まで案内する。

新規、何名様ご来店で~す!

『いらっしゃいませ~』とスタッフが声を揃える。

それが嬉しくて、頑張った。

いつしか、対人恐怖症も克服していた自分に気がついた。


手に入れた自信


それでも、ホールは苦手。

隙あれば、洗い場に逃げ込もうとする弱虫は治らなかった。

自分は障碍者なのだから。

言い訳をする自分がそこにいた。

ところがある時閃いた。

女性のお客様相手に食べ物の説明をしていた時の事。

串カツの種類がそれぞれみな違うのを訊かれ、ボクシングの格好をマネをしてこう答えた。

『そうなんですよ。みなさんで仲良く喧嘩しながら食べて下さい』

笑いがおきた。

じゃあ、みんなでどつきあいながらたべようか~

ノリのいい人がそう呼び掛ける。

どっと笑いが続いた。

受けた!

舞台で受けた芸人の気持ちだった。

それからだろう、自信を持ってホールに立てるようになったのは。

もちろん、たくさん失敗もした。

勉強不足でお客さんの質問にも答えられなかったり。

飲み物や食べ物を間違えて持っていったり、落としたり...

それでも少しづつ出来る事が増えていった。

それが自信につながっていった。


大いなる勘違い


自信がついて来た頃、落ち着いて接客をしていたら、

『店長?』と訊かれた。

いいえ、違うんですと否定しながら内心は舞いあがっていた。

調理が出来る訳でもなく、ホールスタッフに指示ができる訳でもなく、

ただ単に落ち付いて見えるので店長に間違えられているだけなのに勘違いしていた。

いつかは自分のお店を持つという壮大な夢につながっていく。


減薬、そして再び悪化


夢が現実を知らなさすぎる無謀な事だと判った頃、

精神に負荷がかかり、一度2種類に減った薬もどんどん増えていき、最終的には10種類になった。

それでもかかりつけの心療内科に通い、治療院にも通い、

記憶に間違いがなければ半年経つ頃には5種類まで減っていった。

仕事をしていてかかった負荷は仕事で治すしかないのだ。

何よりも働く事こそ病気を治す一番の薬なのである。


燻ぶる思い


月日は流れた。

記憶も飛んでいる。

その当時の事をすべて克明に憶えている訳ではないが、

ある日、燻ぶる思いを抑えられなかった。

どううしても調理師免許が欲しかったのである。

一生、飲食業で飯を食っていきたかったのだ。

調理師免許を取る方法は2つ。

専門学校に通って実技試験を受ける方法。

もう一つはお店で2年以上働きながら、週6日で4時間以上働くか、週4日で6時間以上働くか。

どっちにしても会社にそれを証明してもらわなければならない。

居酒屋では時間が足りず、和食の店とかけ持ちをするようになった。

ダブルワークは思って以上に辛い。

昔、自己啓発教材のローン返済の為(総額約180万)していたダブルワークの時ほどでは

なかったけれど、年齢が違う。

あの頃は30代。

もう無理が効かなくなっていた。

居酒屋での人間環境は人間関係も良く、自分にとっては最高の場所。

病気になった時の事を考えれば楽園だったが、悩みに悩んだ末、去る事を決めた。

実はダブルワークを始めてしばらくたってから動悸がでて止まらず、休む事も度々あったからだ。


卒業式


最後の日。

完全燃焼する意気ごみで働いた。

もう2度と来ない日なのだから。

あっという間に時間が過ぎた。

『そろそろ上がりましょうか?』

店長が声をかける。

『お疲れさまでした!』

笑顔で挨拶をする。

着替えて外に出て帰ろうとすると、アルバムを渡してくれた。

スタッフ全員からのメッセージだった。

ありがとう~!

思わず叫んだ。

人生でこんなに嬉しい事はなかった。

店を後にする。

涙がこぼれた。

振り返るとあの頃の自分がそこにいた。


勇気


あの日あの時、あの場所で出会った居酒屋のスタッフ、そしてオーナー、就労支援センターの担当の人

、それから治療院の人がいなければ、自分の今の自分はどうなっていただろうか?

人生の可能性にふたをしたまま希望を失い、未来の扉を前に諦めていたような気がする。

妻や母親、そしていろいろな人の応援のおかげで頑張れたのである。

その姿を神様は見ていてくれたのだろう。

未来の扉の暗証番号をそっと教えてくれた。

勇気。

一歩進むのは勇気がいるけれど、それが出来たら次の一歩。

そうしてそれを繰り返すうち、千里先まで歩いていける。

人は皆、目には見えない力を持っているのだから。
















































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